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【FOCUS ON BRAVEKINGS #6】驚異の90%超、杉岡選手のシュート率を支えるもの

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございます。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

       

今シーズン、驚異的なシュート率でチームに貢献している日本屈指のサイドプレーヤー・杉岡尚樹選手。なぜ杉岡選手は正確にシュートを決めることができるのか。その理由を様々な角度から探った。

 

驚異の90%超、杉岡選手のシュート率を支えるもの

 

―第21節を終えて、シュート率はダントツの90.1%です。杉岡選手はなぜこれほどの確率でシュートを決めることができるのか知りたい人は多いと思います。まずはサイドシュートを打つ際に意識していることを教えてください。

 

杉岡:その質問はよく聞かれるのですが、僕のシュートは本当にベーシック。僕は、前ではなくてしっかりと上に跳んで、最後までゴールキーパーを見るということを大切にしています。跳んですぐに打つことはあまりしませんし、フェイントもあまり使いません。

器用なタイプではないので、フェイントをすることによって、自分の体勢が崩れてしまうよりはどこにでも打てる体勢で常に跳ぶということを大事にしています。 待って、待って、ゴールキーパーが打つ瞬間に動くところまで見て打つ。ただ、良いゴールキーパーは最後まで動かないので、そこに対して打ち抜いていくのは、レベルの高い勝負だと思っています。

 

 

―事前に対戦相手のゴールキーパーの研究をされますか。

 

杉岡:シュートを打った時にどう動いているのかは映像を見て確認しますが、だからといって自分のやることを基本的に変えることはないです。僕はその瞬間の「リアル」が大事だと考えていて、あまり前もってイメージを作り過ぎてしまうとそれと違った時に面を食らってしまって上手くいかないことも経験してきたので。

 

―例えば、4月12日行われた豊田合成戦。相手のゴールキーパーは日本代表の中村 匠選手で、あの日中村選手は絶好調でした。1本目のサイドシュートを止められて、2本目は決め切りました。まさに「非常にレベルの高い勝負」だったと思うのですが、1本目と2本目は何か変化をつけたのですか?

 

杉岡:あの時は、1本目は無理やり打ちに行ったので、決めることができなかったのですが、自分の感覚としてはゴールキーパーもよく見えていましたし、ジャンプの高さもいつも通りの感覚だったので、焦りなどはありませんでした。次にチャンスがきたら、いつも通り上に跳んで、キーパーを見て打とうと考えていました。

 

若い頃は、1本目を外したら、「やばい、次は絶対に決めないと」と焦ってしまったと思うのですが、今は自分が100%の飛び込みやジャンプができていたら、たとえ止められても、「たまたま止められただけ」「相手が良かっただけ」と冷静に考えられる。

こういう言い方をすると自信家のように聞こえるかもしれませんが、今でも毎試合緊張しますし、試合までに本数を打って、自分の100%のシュートを打つ自信ができるまで準備をしているという感覚ですね。

 

 

―平均どれくらいシュート練習をしているのですか?

 

杉岡:特に何本とか打つ本数は決めていないのですが、最近はチーム練習が終わった後に、右サイドの櫻井睦哉と岡本翔馬 が「杉さん、一緒に練習しましょう」と言ってくれるので、僕対彼ら2人で、6本決めた方が勝ちという対戦形式で、緊張感を持って練習していますね。

 

―「杉岡塾」ですね。

 

杉岡:僕が何かを教えるということはないですよ。それぞれに持っているものが違うので。

櫻井なら身長が高いので、僕には打てないシュートも打てます。岡本はサイドになったばかりなので、色々と試している段階です。

子どもたちに教える時も同じですが、僕の方法が他の人に当てはまるかどうかは分からないので、教えることはほとんどないですけど、僕はまだ負けたことがないです! 

だいぶ角度のハンディをあげているんですけどね。

 

―さすがです!

 

杉岡:ゴールキーパーには、僕の同期の岡本大亮に入ってもらっています。大亮も本数を受けて、細かい調整をしたいタイプなので、いつもその4人で練習しています。 大亮とは1年目からずっと、チーム練習が終わったらゴールキーパーに入ってもらって、何百本、何千本と一緒に練習してきました。大亮に一番シュートを打っているのは僕じゃないですかね? 

「今のシュートどう見えた?」と聞いたり、僕が跳んだ時に大亮が動くのが早かったら「今、動くのが早かったよ」と伝えたり。もう一人の同期、吉野樹も含む3人で、特に1年目は、時間にしたら1〜2時間、「お前ら帰れよ」と言われるくらいずっとシュート練習していました。今となってはいい思い出ですね。

 

 

―杉岡選手、岡本(大) 選手、吉野選手の3人が、BK刈谷の中心選手として、日本代表として活躍しているのは、そういう積み重ねがあるからなんですね。

 

杉岡:量をこなすということは、シュートが上手くなるために欠かせない要素だと思います。

 

100m走16秒3から、チーム最速へ

 

―もう一つ、杉岡選手といえば、速攻の飛び出しが圧倒的に速いというのも特筆すべき点で、ゴールキーパーとの1対1の場面を多く作りだせていることも、シュート率の高さにつながっていると思います。

 

杉岡:そうですね。うちのチームはディフェンスがかなり強いので、ある程度見切りをつけて走り出しています。

相手のプレーがミスになりそうなのか、フリースローになりそうなのか、経験的に大体分かるので、ミスになるなと思ったらパッと飛び出して、ボールを奪った選手からのパス1本でシュートまで持ち込むのがチームにとって一番効率がいい攻撃です。

たまに速すぎてラースHCから「ルーズボールも見なさい」と怒られますけど(笑)。

 

―子どもの頃から足が速かったのですか?

 

杉岡:遅かったです。今でもはっきりと覚えているのですが、中学の時は、100m走のタイムが16秒3だったんですよ。今は100mのタイムは測らないのでわからないですが、30m走は最高で3秒8で、このチームでは1番速いですね。

 

―速く走るために、特別なトレーニングをされたのですか?

 

杉岡:今でこそ走りに直結するトレーニングをしていますが、中学高校、大学時代に特別に何かしてはいないです。ただ一生懸命ハンドボールをしてきただけです。

 

―杉岡選手みたいになりたいという子どもたちに何かアドバイスをするとしたら?

 

杉岡:陸上選手ではないので、足を速くするためのトレーニングは教えられないですが、常に全力を出すということが大事なんじゃないかと思います。

全力を出し続けなければ、自分の限界は上がっていかないので。一生懸命ハンドボールをしていれば足は早くなっていくと思います。

僕がそうだったので。

 

コンディションの良さとオリンピックの
経験が今季の好調につながっている

 

―これまでのシーズンで、最もシュート率が高かったのが、第47回大会(2022-23)の84.0%。それでも十分に高い数字なのですが、さらに今シーズン、特にシュート率が高くなっている要因について、どのように自己分析されていますか。

 

杉岡:今シーズンに関しては、身体のコンディションをいい状態で維持できていることが大きいと思います。 昨シーズンの10月に行われたパリオリンピックの予選の予選ラウンドで肉離れをしてしまいました。

 

日本は優勝してオリンピックの切符を掴むことができたのですが、代表から帰ってきた後調子がガタ落ちしてしまって……。怪我によって、シュートの時の感覚がいままでと全く違ったものになってしまい、全くシュートが入らない試合を何度も経験しました。 苦しいシーズンを送ったので、今シーズンは遠藤メディカルトレーナーにケアをしてもらい、帆山S&Cコーチと僕の弱点を強化するようなトレーニングをして、いいコンディションを維持できていることが一番の要因ですね。

 

もう一つは、パリオリンピックで、自分と同じポジションの選手や相手のゴールキーパーなど色々な刺激を受けたこともあります。基本に忠実にという大枠の考え方は変わらないのですが、今も練習で「もっとこうした方がいいのではないか」と毎日頭の中で模索する中で、引き出しが増えてきた感覚があります。1月に世界選手権で負けたことも、まだまだ成長できるとポジティブに捉えています。

 

努力して、勝つことの喜びを知った原体験が今に生きる

 

―2月にリーグ通算800得点を達成しました。これまでのハンドボール人生でターニングポイントになった出来事を教えてください。

 

杉岡:僕の地元の京都府京田辺市は毎年全国小学生ハンドボール大会が開催される場所で、各小学校に必ずハンドボールクラブがあるくらい、盛んな街でした。そこで僕もハンドボールに出会って、最初は遊びで緩い感じでやっていました。

 

そのチームに恩師の石田真由美先生が来て、初めて親以外の大人に厳しくされたというか、練習がいきなりキツくなったんですけど、これまで全然勝てなかった相手に勝てるようになったんですよ。

その時に単にハンドボールをする楽しさだけではなくて、ハンドボールをして勝つことの楽しさを知りました。僕はただ必死だったので、何か変わって勝てるようになったのかはわかりませんが、僕にとっての一つのターニングポイントでした。

 

―ある種の成功体験というか、ハンドボールに真剣に取り組んで勝つ喜びを味わったのですね。

 

杉岡:2つ目の転機は大学です。出身の中央大学は、いまでは2021年から2024年までインカレで4連覇するくらいのトップレベルの大学なのですが、僕が入学した当時は関東リーグの2部で、インカレでは1回戦で敗退するレベルでした。

 

日本リーグに入る選手もほとんどいませんでした。 幸運なことに、僕の同期の6人が負けず嫌いばかりで、「自分たちの代で、部内のルールなどいろいろと変えていこうぜ」と前向きだったので、僕がキャプテンだったのですが、練習の内容を変えたり量を増やしたり。ハンドボールだけではなく、チームの運営についても色々と考えて、改革していきました。

 

―そうした改革が、4年時のインカレでの3位という結果に結びついたのですね。

 

杉岡:やっぱり負けるのは悔しいので、勝ちたいと思ったのが一番ですけど、日本リーグに行きたいと考えていたので、スカウトされるためには2部にいては難しい。

そのためには自分が活躍するだけでなく、チームを勝たせないと難しいという感覚がありました。2014年の関東学生ハンドボール秋季リーグで得点王を獲ったんですが、その時に得点能力がついたんじゃないかと思います。

大学で活躍して、トライアウトを経て、酒巻(清治)さんにトヨタ車体に入らせてもらったことが、一番人生が変わった瞬間だと思います。

 

 

―トヨタ車体に入ってからはいかがでしたか。

 

杉岡:門山(哲也)さん、笠原(謙哉)さん、(渡部 )仁さんに出会って、トレーニングに対する姿勢や、プレーそのものの質や強度の高さに衝撃を受けて、もっとやらなければいけないと僕のマインドが変わりました。

大学時代は自分が一番練習していると思っていたのですが、自分よりも上手い人たちが僕以上に必死にトレーニングをしているのを見て、本当に驚きました。

 

特に当時の仁さんはサイドの選手だったので、あれだけ身長があるのに、すごく速く動ける。ああいう選手になるにはどうしたらいいのだろうとすごく考えました。

環境が変わると、それに適応しようと頑張るじゃないですか。レベルの高い環境に来させてもらったからこそ、今の自分になれたというのはあると思います。

同期にも恵まれました。3人で刺激しあって、3人でオリンピックに一緒に行くことができましたし、大きな怪我もなく3人でここまで来られた というのはめちゃくちゃ嬉しいことですね。

 

―今シーズン3選手ともに非常に好調ですね。

 

杉岡:終わったあとに、「黄金世代」と言ってもらえるように、頑張ります! そのためにも、豊田合成戦の負けをこれからにどう繋げていくかが大事になってくると思います。

 

残りのレギュラーシーズンを全勝して、1位でプレーオフに行くことが優勝するための重要なポイントになってくると思うので、ぜひ会場に応援に来てください。そして最後に東京で勝って、みんなで笑い合いましょう。

 

2025/04/24

【FOCUS ON BRAVEKINGS #5 】カキツバタカラーが取り持った、2つの新たな連携プレー

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

「カキツバタ」

 

2月15日、刈谷市体育館で行われた安芸高田わくながハンドボールクラブ戦の勝利チームインタビュー。アリーナMCからこの日着用した紫ユニフォームの意味を聞かれたパウエル・パチコフスキー選手は流暢な日本語でこう叫び、満員のアリーナを沸かせた。

 

 

カキツバタは、ブレイヴキングス刈谷がホームタウンとする刈谷市の花だ。この日、アリーナをいつもの赤黒からカキツバタ色に装いを変えて行われた「刈谷シリーズ」は、2つのつながりを強化するために企画されたという。カキツバタカラーに染まったアリーナにはどのような思いが込められていたのか、プロジェクトに関わった関係者に話を聞いた。

 

男子ハンドボール部と女子バレーボール部の連携を強化

 

このプロジェクトは1年ほど前に始まった。

 

「トヨタ車体には、男子ハンドボール「ブレイヴキングス刈谷」と、女子バレーボール「クインシーズ刈谷」と、国内トップリーグに所属するチームを2つ保有しているにもかかわらず、練習場が別々なこともあって、これまではあまり交流ができていませんでした。会社として2つのチームが存在している価値を生かしていくべきではと以前から提案をしていました」

 

そう話すのは、門山哲也チームディレクター(TD)だ。

 

「例えば、アルビレックスはサッカー以外にもいろいろな競技のチームを持っていますが、みんな同じオレンジのユニフォームです。一方でトヨタ車体の場合は、ハンドボールは赤でバレーボールは青のユニフォーム。メーカーもデザインも違います。同じトヨタ車体のチームだと感じてもらえるように、何か共通するものを作れないかと考えていました」

 

そんな折、2024年10月にトヨタ車体は男子ハンドボール「ブレイヴキングス刈谷」と女子バレーボール「クインシーズ刈谷」の活動を通じた「スポーツに関する連携協定」を刈谷市と締結する。

 

 

「2024-25シーズンから『ブレイヴキングス刈谷』『クインシーズ刈谷』とチーム名に『刈谷』が入りました。刈谷市のスポーツ振興だけでなく、まちの活性化に寄与するためにも、刈谷市の皆さんとのつながりを深めていきたいと考え、両チーム共通のユニフォームを作るのであれば、刈谷市を象徴するカキツバタカラーにしようという話になりました」とブレイヴキングス刈谷の運営を担当するスポーツ統括部の村永奈央さんは振り返る。

 

※村永さんはかつてクインシーズで活躍した選手で、引退後は2チームの運営を中心に業務を担っている。
“選手”と“スタッフ両方の視点で見られる村永さんだからこそ、行きついた思いがあった。

 

2つのチーム、そして地域との連携を深めるカキツバタカラーのユニフォームは、細部の仕上がりにもこだわった。「最初のデザイン案は薄い紫だったんです。それでは紫という色が伝わりにくいし、今シーズンのユニフォームに採用しているタイヤ痕をモチーフにしたデザインメッセージが伝わらないので、色が変わっても『ダイナミックなプレーや圧倒的な強さ、熱い気持ちや闘争心』というテーマは変わらないように調整しました」。ブレイヴキングス刈谷の魂を残しながら、クインシーズ刈谷、刈谷市とのつながりを表現した門山TDの自信作だ。

 

 

「刈谷シリーズ」として刈谷市の魅力を発信する

 

さまざまな思いが詰まった紫ユニフォーム、ブレイヴキングス刈谷は2月15日と3月29日、クインシーズ刈谷は2月1、2日と3月22、23日のホームゲームで着用することに決まった。素晴らしいユニフォームができたのだから、この特別なユニフォームを引き立て、ホームゲームを刈谷市のさまざまな魅力を発信する機会にしたい。運営スタッフは「刈谷シリーズ」と題して大々的にPRすべく準備を進めていった。

 

「紫と刈谷というキーワードがあったので、この二つを表現できる施策をスタッフみんなで考えていきました。難しかったのは、紫の使い方です。ブレイヴキングス刈谷のチームカラーである赤と黒を残した上で紫を差し色としてプラスするのか、全面的に紫に変えるのかという点でした」(村永さん)

 

 

検討を重ねた結果、会場装飾も紫を全面に打ち出すことに。試合会場では紫のペンライトやシリコンバンド、ハリセンを配布し、選手入場時には360度ぐるりと紫の光が揺れる幻想的な光景を作り出した。

 

 

 

 

イベントも、刈谷市を全面に押し出した。当日は刈谷市の稲垣武市長とマスコットキャラクター・かつなりくんが来場。試合前には稲垣市長が始球式を行った。ハーフタイムには刈谷市を中心に活動している和太鼓チーム「刈谷やぐら太鼓」が演奏を披露し、来場者を楽しませた。

 

 

 

ロビーには刈谷東高校折り紙部の作品が展示された。10cmほどの小さなパーツを組み合わせて作られた全長2mほどの立体のアニメキャラクターや富嶽三十六景をモチーフにした屏風絵など大作の他に、ブレイヴキングス刈谷とのコラボレーションのために制作されたカキツバタの花など、折り紙の概念を変えるような作品がずらりと並ぶ。

「刈谷市の小中高校向けの招待活動を行うで、どこかの学校にブースを出していただけないかと地域の学校についてリサーチしていました。その中で、刈谷東高校に折り紙部があることを知り、お声がけさせていただきました。カキツバタの花やブレイヴキングス刈谷とクインシーズ刈谷のマスコットを作っていただくなど、この機会に積極的に参加していただいて本当にありがたかったです。3月29日の試合では折り紙ワークショップを開催してもらうことになっています」と村永さん。

 

 

 

アリーナグルメは、刈谷市商店街連合会の協力を得て刈谷市内の人気店が揃った。定番の唐揚げや焼きそば、餃子、本格的なイタリアン、コーヒーやスイーツまで。応援のエネルギー補給にと、多くのファンがキッチンカーに長い列を作っていた。

愛知県商店街振興組合連合会の刈谷市商店街マネージャー大中隆志さんは「商店街振興組合連合会はこれまでも、FC刈谷や豊田自動織機女子ソフトボール部シャイニングベガなどスポーツイベントとのコラボレーションをしてきました。子どもたちが身近にトップレベルのスポーツを観られるのは素晴らしいと思いますし、商店街としても地元の企業と連携を図りながら、地域に貢献したいという思いを持っていますので、前向きにご協力をさせていただきました。今回出店しているお店はすべて刈谷市に店舗があります。イベントを通してお店の名前や味を知っていただいて、店舗の方にも足を運んでもらう。そのような循環の中で刈谷市が発展していくのが理想的ですね」と相乗効果に期待を寄せる。

 

出店者である「YELLCAFE」の柘植祥史さんは「昨年のパリオリンピックの時に総合運動公園で行われたパブリックビューイングにも出店させていただいたのですが、スポーツイベントのお客様はアクティブな方が多いなという印象です。試合会場での賑わいが、刈谷市全体の賑わいにつながっていったら嬉しいですね」と話す。

 

 

 

これはスタート。これからも地域のために

 

「アンケートの結果を見ると、『紫がすごくかっこよかった』『紫を着ている選手が新鮮でよかった』という声が大半でした。選手たちも紫のユニフォームを気に入っている様子でした」と村永さんは安堵の表情を見せる。「お客様に楽しんでいただけたことに加え、今回の刈谷シリーズを通じて、刈谷市役所、商店街の皆様をはじめ、刈谷市のたくさんの方たちとつながりを作ることができました。それが一番大きいことです。これがスタート。これからさらにスポーツを通じた刈谷市の活性化に貢献していきたいと考えています」。

 

門山TDも「これは大きな一歩」と語る。「僕が監督をしていた数年前から、ブレイヴキングス刈谷とクインシーズ刈谷が一緒にトレーニングをすればお互いに刺激になることもあるかもしれないですねと話をしていたのですが、コロナがあったりで実現できていませんでした。競技は違えど国内トップリーグで戦う選手なので、今後はもっとお互いに刺激を与えあえる機会を増やせるといいですね」。

 

実は今回、同じ色のユニフォームを着用しただけでなく、中断期間中だったブレイヴキングス刈谷の選手がクインシーズ刈谷の試合を観戦した。「その時にお客さまに刈谷市にまつわるクイズに答えていただくイベントを行ったのですが、3問目で観客席にいたブレイヴキングス刈谷の選手に当てたんですよ」と村永さんは明かす。

 

 

指名されたのはパチコフスキー選手。この時出されたクイズの答えは、冒頭のヒーローインタビューと同じ「カキツバタ」だったのだ。

 

3月29日にも再び「刈谷シリーズ」が行われる。今回はパープルペンライト、刈谷シリーズ限定ハリセンに加えて、先着1000名に紫Tシャツがプレゼントされる。さらに刈谷東高校折り紙部のワークショップや「刈谷城盛上げ隊」によるハーフタイムイベント、キッチンカーには新たな刈谷市のお店が出店予定だ。

 

「ブレイヴキングス刈谷はリーグHの中で最もお客さまのレプリカユニフォームの着用率が高いんです。ありがたいことなのですが、2度目の刈谷シリーズでは観客席を赤ではなく紫に染めたい。選手と同じ紫色のTシャツを身に纏って、一緒に戦っていただけたら嬉しいです」

 

 

取材・文/山田智子

2025/03/13

【FOCUS ON BRAVEKINGS #4】加藤芳規選手インタビュー

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

苦しい時ほど輝く、GK加藤芳規選手が描く理想のセービング

 

9月21日、枇杷島スポーツセンターで行われた2024-25 リーグH レギュラーシーズン第3節のトヨタ紡織九州レッドトルネード佐賀戦。初先発したゴールキーパーの加藤芳規選手は、長袖のユニフォームの袖をまくって自らにスイッチを入れると、パンパンと手をたたいてチームメイトを鼓舞した。

 

加藤選手は最初のシュートストップに成功すると、ガッツポーズをしながら「よっしゃー」と吠えた。その後もシュートを止めるたびに両手を突き上げ、観客席に向かって何度も雄叫びを上げる。この日の加藤選手は29本中15本という驚異の51.7%の阻止率を記録し、チームの勝利に貢献した。

 

「最初に相手のエースのシュートを止めて、それで『今日はいける!』みたいな気持ちができました。あの試合はディフェンスとの連携も良く、相手が自分の思ったところにシュートを打ってきて、何もかもうまくいった。ゾーンに入った感覚でしたね。レットル佐賀戦は毎回結構当たっているので、相手の方に苦手意識があるのかもしれません。相手の方が後手に回っている印象を受けました」と加藤選手は振り返る。

 

松村昌幸ゴールキーパーコーチは、先発起用に応えた加藤選手への賛辞を惜しまなかった。「レットル佐賀のシュートの傾向を見て、加藤の方が合いそうだなと思ってスタートに起用しました。彼もその意図をしっかりと理解してくれて、良いパフォーマンスをしてくれた。チームがそこから勢いに乗ることができました。あの試合はチームにとってもターニングポイントになったと感じています」。

 

 

チームに欠かせないエナジーチャージャー

 

ブレイヴキングス刈谷には、加藤選手に加えて、日本代表の岡本大亮選手、将来有望な平尾克己選手の3人のゴールキーパーが在籍している。試合に登録できるのは2人。選手のコンディションやチームの状況、対戦相手など様々な観点を考慮して起用していると松村コーチは話す。

 

「加藤にはチームにエネルギーをチャージする役割を期待しています。彼を起用するのは、流れが悪い時、ビハインドを背負っている時。岡本を先発で送り出して、劣勢になってきたら加藤でもう一回リチャージしようという意図ですね。また、連戦が続いて少しチームのエネルギーが下がっているような時には、彼のエネルギーが必要なのでスタートに起用したりします」

 

 

加藤選手もその期待を重々理解している。「途中から出場する時は流れが悪い時が多いので、まずは僕が止めないといけない。だから1本目がすごく大事で、どんな形でも絶対に止めて、声を出して、チームの士気を上げていくと決めています」。

 

そう説明する加藤選手の声は、とても小さい。松村コーチによると、「普段と試合中では全くの別人。会社にいる時は『あれ?いたんだ』っていうくらい静かなんですよ。でも試合ではいきなりスイッチが入る。そうした本番の強さは彼の「強み」なのだそう。加藤選手も「普段は静かですね。練習も淡々とやることにしているので、大きな声を出すのは試合だけ。たくさんのファンの方が応援してくださる中でコートに立つと自然とテンションが上がるんです」と苦笑する。

 

「チームの勝利に貢献することが一番のやりがいではありますが、個人的には目立ちたい! キーパーが当たらないと勝てないし、試合が締まらない。『影の立役者になる』というマインドでやっていますが、一方で『目立ってやる』という気持ちを持っていないと攻撃的なキーピングができないので、目立つことをモチベーションにしています」

 

 

「加藤のシャウト」は浦和学院高校時代に作り上げられた

 

ブレイヴキングス刈谷の“名物”であり、大きな武器でもある加藤選手のエネルギー溢れるプレースタイルが確立されたのは高校時代だという。

 

小学生の頃は野球チームに所属し、「将来の夢はプロ野球選手だった」という加藤選手だが、中学では「坊主が嫌だった」という理由でハンドボール部を選んだ。ゴールキーパーになったのは、「始めて1週間でフィールドプレーヤーに向いていないとわかったからです。ラインを踏んじゃうし、ジャンプシュートもできないし、顧問の先生と相談してゴールキーパーになりました」。

ゴールキーパーに転向した当初は「痛いし、怖いし。何が面白いんだろう」と思ったそうだが、「試合をして、シュートを止めて、自分が活躍して、チームが勝つ、それを繰り返しているうちにだんだん面白くなってきました」とゴールキーパーにやりがいを感じるようになった。

 

 

加藤選手が通った吉川市立中央中学校は過去に全国大会に出場したことはあったものの、入部当時の部員は同学年の8人のみ。加藤選手を含めて、中学からハンドボールを始めたメンバーばかりだった。それでも、国士舘大学の豊田賢治監督(元日本代表、元大崎電気オーソル)を育てた名将のもとで、土日は埼玉、栃木、群馬の高校と練習試合、試合のない時は9時から16時までノンストップで練習をする中で鍛え上げられ、急成長。3年生の時には春夏の全国中学校ハンドボール大会で2冠に輝き、加藤選手自身も夏の大会の大会優秀選手に選出されるまでになった。

 

中学卒業後は、日本代表選手を多く輩出している名門・浦和学院高校へ進学。厳しい競争の中で充実した練習を重ねた。

 

「高校2年生の時に、顧問の先生から『静かすぎる。自分からエネルギーを出せ』と言われて、どうしたらいいだろうと考えていました。ちょうどその頃、北京オリンピックアジア予選の再戦が日本で行われて、日本代表GKの四方篤さんがシュートを止めた時にガッツポーズをしてチームを鼓舞する姿を目にして、自分もやってみようかなと始めました」

 

自分を変えて、もっと成長したい。強い信念と努力が実り、加藤選手は各年代の日本代表にも選出されるなど頭角を表していく。

 

 

爆発力と安定感を兼ね備えたゴールキーパーへ

 

加藤選手は筑波大学を経て、2015年にブレイヴキングス刈谷に入団。ゴールキーパー陣の中では最年長になり、中堅と言われる年齢に差し掛かった今も、さらなるアップデートに挑んでいる。

 

松村コーチは、加藤選手の元来の魅力は「野生味」だと評する。「おそらく相手のシューターからすると、予想外の動きをしたりする。そこはセンスというか、教えられない部分。彼のそうした野生味に魅力を感じています」。

 

加藤選手も「1本止めると、野生の勘が働き出して、『こっちに打ってくるんだろうな』という読みが当たるんです。勘が当たっているのか、それとも打たせたい方向に誘導するように自分が先に位置取りをしているのかは、自分自身でもわかっていないんですけどね」と自身の「野生味」を武器だと認識しながらも、ゴールキーパーとして理想とするのは「安定感」だと強調する。

 

「これまでは流れを変えるための爆発的な働きを求められてきました。でもそれは、見方を変えると少しギャンブル的な側面もあったと思うんです。だから今は『安定したセービングがあった上での爆発力』を目指していますし、ここ数年はセオリー通りのゴールキーピングがでてきている手応えもあります」

 

安定したセービングのためには、「とにかく迷いをなくすことが重要だ」と加藤選手は続ける。「迷いがあると一瞬動きが遅れてしまう。『今、迷ったな』というのは自分でもわかるので、そこをなくしていきたい。試合の前に『どこに打たせたいか』とプランをしっかりと立てて、試合では練習通りに、自分を信じてプレーすることが必要だと考えています」。

 

エナジーと野生味溢れるプレーでチームが苦しい時にこそ真価を発揮する加藤選手。リーグ後半戦に向けて、彼の力が必要になる場面はより増えてくるだろう。

 

 

「僕のネームタオルを掲げてくださる方、メッセージをくださる方、最近はゴールキーパーのファンも増えてきていて、ゴールキーパーというポジションの魅力が伝わってきているのかなととても嬉しいです。もっとゴールキーパーの魅力を多くの人に伝えていきたいですし、そのためにも、これからもどんどん叫んで、目立って、リーグH 優勝のために自分の持ち味を最大限に活かしていきます」

 

加藤選手は静かに、しかし力強く語った。

 

 

取材・文/山田智子

2025/02/05

【FOCUS ON BRAVEKINGS #3】高智海吏選手インタビュー

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

キレのあるカットイン、身体を張ったディフェンス。コート上で戦う高智海吏選手を見ていると、彼が40歳であることを忘れてしまう。ベテランの域に達してもなお、トップレベルのパフォーマンスを維持し、チームに貢献し続ける。その原動力とはーー。

 

苦しい時期を支えた、「ハンドボールは遊び」という原体験

 

―SNSでファンの方が「50歳までプレーしてほしい」と書いていましたが、高智選手なら可能なのではと思うような、年齢を感じさせないプレーに驚かされます。

 

高智:よく言われます(笑)。

 

―長くトップレベルのパフォーマンスを保ち続けられる理由は何でしょうか。

 

高智:ハンドボールを遊びで始めたというところが大きいかもしれませんね。

日本代表としてもプレーさせてもらいましたが、重圧を感じることもありましたし、スケジュールも過密になるので体力的にしんどい時もありました。そういう苦しい時には、始めたばかりの、上手くなりたくて努力していた頃の自分を思い出すんです。

「好きなことを続けて、それを仕事にさせてもらえて、しかも世界のトップレベルの選手たちと戦える。こんな幸せことはない」と思えば、自然と高いテンションを維持できる。そうやって何度も乗り越えてきました。

 

 

―ハンドボールは高校2年生から始められたんですよね。トップ選手の中では比較的遅いスタートですが、それまでは何かスポーツをされていたのですか。

 

高智:小学校3年生からずっとバスケットボールをしていました。でも高校2年生の時にバスケ部を続けるかどうか悩む時期があって。その時に同じ体育館で練習をしていたハンドボール部の田中宏明先生から「一度遊びでハンドボールをやってみないか」と声をかけられたんです。試しにハンドボールをやってみたら面白いし、子どもの頃はドッジボールが得意で肩が強かった。左利きで、身長も高かったので、「結構できるな」という実感があって、ハンドボール部に転部しました。

 

―ハンドボールのどんなところに面白さを感じたのでしょう?

 

高智:ハンドボールとバスケットボールは似た動きが多いのですが、バスケでは3歩以上歩くとトラベリングになるので、3歩まで歩けるハンドの方が1歩多く歩けます。

バスケでも1対1で抜くプレーが好きだったし、さらに1歩多く歩けるとプレーの自由度が上がります。逆に2歩目でシュートを打つとタイミングが狂うので、相手としてはやりにくかったみたいですね。チームもインターハイに出場するような県内では強豪だったので、全国レベルで戦えることも楽しかったです。

 

―高校卒業後は、強豪・大阪体育大学に進学します。

 

高智:ハンドボールは楽しかったんですけど、始めたのが遅く、高校の頃は運動能力だけでやっているところがあったので、上のカテゴリーで続けられるとは考えてもいませんでした。僕は子どもが好きなので、保育士になるために保育科のある短大への進学を検討していました。

でも、3年生の時に中国地方のナショナル・トレーニング・システム (NTS)※ に参加した時に、フィジカルテストでトップを取って。「誰だ、この選手は? ハンドを始めて1年も経っていないらしいぞ」と注目されて、全国のNTSにも呼んでいただきました。そこでもフィジカルテストで1位か2位に食い込んだんです。

それで後日、田中先生に教官室に呼ばれて、「大学でもハンド続けてみないか? 教える仕事に興味があるのであれば、体育大学で教員の免許を取ることもできるから」と勧められて、大学進学を決めました。

※ナショナル・トレーニング・システム (NTS)  :優秀なアスリートの発掘・育成・強化活動を実施すると共 に、指導の一貫性を図ることによる指導者の育成、さらには各地区の地域に新 しいハンドボール情報を伝達していくシステム

 

―大学の練習はいかがでしたか?

 

高智:厳しかったです! 伝統のある大学だったので、周りは小学校からハンドボールをやっているような有名選手ばかり。その中で、ハンドボールが身体に染みついていない僕は、全く通用しませんでした。それが悔しくて、悔しくて……。

 

―その壁をどのように乗り越えたのですか?

 

高智:他の選手の動きを見て、真似をする。それをとにかく反復しました。チーム練習の後、一人で体育館に残ってスキルを向上させるためにひたすら練習をしましたね。高校時代に自信を持っていた身体能力に関しても、上には上がたくさんいることもわかったので、筋トレや走り込みもしました。1年生の終わり頃から少しずつ試合に出られるようになって、3年生からは先発で出場するようになりました。

 

 

―実業団でもハンドボールを続けようと考えたのはいつ頃ですか。

 

高智:当初は教員を目指そうと考えていたので、教育実習にもいきましたし、「大学でやり切るぞ!」という気持ちでした。でも複数のチームからお声がけをいただいて、当時の監督の宍倉保雄先生とも相談してトヨタ車体ブレイヴキングスに入団することに決めました。「もっと上を、もっと先を目指して頑張れるんだ」と視野がパッと広がって、すごくモチベーションが上がった時期でしたね。

 

―ブレイヴキングスに加入して2年目で日本代表に選出されます。

 

高智:始めた時には全く想像していなかった世界ですね。初めての代表戦は、北京オリンピックの世界最終予選で。世界トップレベルの選手はプレーの一つひとつのクオリティ、パワー、高さ、全ての基準がずば抜けて高いなと感じました。でも、その中でも自分のフェイントや、得意としているカットインが通用すると感じることができましたし、そこに磨きをかけて可能性を伸ばしていきたいと意欲が湧きました。

 

―それから10年間にわたって日本代表として活躍されました。

 

高智:いろいろなヘッドコーチ(HC)のもとで貴重な経験をさせていただきました。2018年のジャカルタアジア大会で代表活動に一区切りをつけさせてもらいましたが、それまではタイトなスケジュールの中で、ハードに自分を追い込んできたので、ようやく肩の荷が下りたという感覚でしたね。

一方で、日本代表はモチベーションの一つになっていましたし、年齢的にも30代になっていたので、その後のキャリアをどうしていくのか考えるようになりました。今振り返ると、その頃は自分のパフォーマンスが少し落ちていたように感じます。

 

 

「若い選手には絶対に負けたくない!」 40歳でキャリアハイ更新中!!

 

―今シーズンは非常に高いパフォーマンスを維持しているように感じます。少し落ち込んだ時期から、どのように自分の気持ちを立て直したのでしょうか。

 

高智:昨シーズン、ラース・ウェルダーHCが就任して、起用法が変わったことが大きかったですね。僕は主にバックプレーヤーとしてプレーしてきたのですが、30代後半になってから数年かけてサイドプレーヤーに転向してきました。でも、ラースHCから「バックプレーヤーをやってほしい」と求められて、再び心に火がつきました。

バックプレーヤーはフィジカルコンタクトが激しいポジションなので、また身体を作り直しました。そうしたら、試合の出場時間も増えましたし、パフォーマンスも上がってきています。

 

 

―フィジカルテストの数字は、40歳のいまもチームトップレベルだそうですね。

 

高智:そうなんですよ。でも、努力をし続ければ、多分誰でもできるんですよ

 

―いやいやいやいや。誰にでもできることではないと思います。

 

高智:自分もそうだったんですけど、おそらく年齢を言い訳にして自分自身にブレーキをかけているところがあると思うんですね。1つずつ、1日ずつ、限界を超えていく努力を積み重ねることで維持できます。実際にここ数年間、毎日限界を超える努力を続けてきたことで、キャリアハイの数値を出すことができています。

 

―キャリアハイですか!?

 

高智:バイクを漕いで、6秒間でどれくらいのパワーを出せるかという瞬発的な動作を鍛えるトレーニングがあるんですけど、その数値で先週キャリアハイを出しました。僕はスクワットがあまり得意ではなかったんですけど、フォームを改善したりして努力を重ねることによって、いま一番重量が伸びていますね。

有望な後輩がどんどん入ってきた中でも、まだまだ負けたくないという気持ちが強いんです。僕が若手の立場だったら、「ベテラン選手を打ち負かして、早くポジションを奪ってやる」と考えるだろうし、それくらいの気持ちがなければ勝ち残ってはいけません。

練習していると、若手が挑んできているなと感じることがあって、それは嬉しいことでもある反面、僕としては絶対に負けたくない。フィジカルテストでトップクラスにいれば、客観的な数字としても負けていないことを示せますよね。若手の前に壁としてしっかりと立ちはだかって、切磋琢磨しながら互いにレベルアップできればと考えています。

 

 

―今のお話を聞いていると、ファンの方がおっしゃるように「50歳まで現役」もあながち不可能ではない気がしてきますね。

 

高智:さすがに50歳までは想像できませんが(笑)、チームの力になれる限りにおいては、できるだけ長くトップレベルでやりたいという気持ちはあります。この先の人生を胸を張って生きられるように、限界までハンドボールを続けたいです。

 

 

―日々の努力のほかに、長く競技を続ける秘訣はありますか?

 

高智:オフコートで、しっかりとリラックスすることでしょうか。僕はキャンプが趣味なのですが、むしろ身体がきつい時ほど行きますね。時間がなくても、朝3時に行ったりとか(笑)。「病は気から」という言葉があるように、キャンプに行って、気持ちをリフレッシュできると、次の週は不思議と身体が動くんですよ。DIYも好きなので、主に材料に木材を使うんですけど、木と向き合っていると心が落ち着くし、集中力が高まる。ある種の瞑想のような感じです。だから僕にとって趣味はハンドボールを続ける上で不可欠なものですね。

 

 

―2月からリーグHの後半戦がスタートします。初代王者になるために、どんなことが大事になっていくでしょうか。

 

高智:それぞれの選手が自分の武器をしっかりと認識して、それを試合でフルに発揮できるようにオーガナイズすることが大事になってくると思います。すごく難しいことですけど、それを全員ができれば、チームとして100%以上の実力が出せます。1月の日本選手権は決勝で敗れはしましたが、攻守においてそれを表現できた時間が多かったと感じています。

ファンの皆様の熱い応援もすごく力になっています。リーグHの優勝に向けて、これからも一緒に戦っていきたいです。僕も前半戦のパフォーマンスを継続できるように最大限の努力をしていきます。

 

取材・文/山田智子

2025/01/22

【FOCUS ON BRAVEKINGS #2】座談会 日本選手権の振り返り、悔しさをばねにリーグH後半戦へ

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

12月に行われた日本選手権。9年振り3度目の優勝を目指して臨んだブレイヴキングス刈谷でしたが、またしても決勝で豊田合成ブルーファルコン名古屋に1点差で惜敗、準優勝に終わりました。座談会の第2部では、日本選手権の舞台裏や、この悔しさを糧にどのようにリーグH後半戦へ挑むかなどを、岡本大亮選手、髙野 颯太選手、櫻井睦哉選手、渡部仁選手に聞きました。

 

ディフェンスは後半戦に向けて大きな自信に

 

 

12月の日本選手権大会は、残念ながら準優勝という結果でした。

 

渡部:初戦の日本体育大学戦は39-26と点差は開きましたが、試合終盤は良くない時間帯がありました。ラースヘッドコーチ(HC)からもその点を指摘されたので、2試合目のゴールデンウルヴス福岡戦でしっかりと立て直し、3試合目は1週間前に行われたリーグ戦で引き分けたジークスター東京に接戦で勝つことができて、いい流れで決勝を迎えることができました。

 

髙野:(渡部)仁さんが言った通り、決勝までの流れがすごく良くて、決勝でも順調な入りができました。そのままの勢いでいけるかなと思っていたのですが、後半失速してしまいました。自分自身もレッドカードをもらって しまい、チームに迷惑をかけてしまいました。

 

櫻井:決勝の後半の立ち上がりに相手が修正してきたのですが、それに自分たちが対応できず。徐々に点差を詰められて、延長で負けてしまいました。パリオリンピックでも同じような逆転負け、1点差負けの試合を経験しましたが、あらためて後半の立ち上がりの大切さを痛感させられました。

 

 

岡本:ただ、大会全体を振り返ると、失点がかなり少なかった。そういう意味ではディフェンスが機能したという手応えを感じられた大会でした。僕たちゴールキーパーとしても取りやすいシュートが多かったですね。決勝では、後半は攻めあぐねて、逆速攻を食らって失点してしまったところがありましたが、それ以外のディフェンスは非常に良かったと思います。

 

 

渡部:決勝は26失点なので、ゴールキーパーを含めたディフェンスはすごく機能していましたね。一方で攻撃は25点と全然点が取れなかった。具体的に何分ごろというのは覚えていないのですが、後半急に攻撃がしづらくなった感じがありました。シュートを打ちに行ったというか、打たされているような感覚。そうして攻撃が手詰まりになったことがターニングポイントだったと思います。

 

―攻撃が機能しなくなった原因はどこにあったと思われますか。

 

渡部:相手のゴールキーパーが、中村匠選手から普段はあまり出ていない宮城風太選手に替わって、セーブ率が53.1%と驚異的な数字でシュートを止められたのが攻めあぐねた一因です。 宮城選手は素晴らしいパフォーマンスでしたが、それ以前に、確率の高いところでシュートを打てていない、相手のディフェンスを突破してシュートを打てていなかったというのも問題でした。僕がライトバック、櫻井がライトウィングという形で一緒に出ることが多いんですけど、サイドシュートを打つシチュエーションを作れなかったのが個人的な反省点です。

 

 

―攻撃の停滞をどのようにコート上で解決しようとしたのですか。

 

渡部:コート上はそれほどネガティブな雰囲気ではなく、準備してきた作戦があるので、それを実行しようとしていました。でも「あれをやってみよう」「次はこれをやってみよう」といろいろと試してみたのですが、ことごとくうまくいかない悪循環に陥っていました。それでもディフェンスとゴールキーパー 陣の踏ん張りで接戦に持ち込むことができました。

 

髙野:オフェンスがうまくいかない状況でディフェンスまで崩れたら完全に流れを持って行かれてしまうので、ぎりぎり耐えていたという感じです。

豊田合成のオフェンスは比較的狙いが分かりやすかったんですよね。シュート力のあるバラスケス選手が最終的に打つことが多い。相手の最大の強みを、前半から櫻井(睦哉)や山田信也さんが身体を張って止めてくれていて、かなりストレスを掛けられていました。おそらくバラスケス選手はやりにくかったと思うし、後半彼を下げたのはそういうことだと思います。

ただ今回の決勝に関しては、スピードのある日本人選手にかき回されて、そこを止められずにレッドカードをもらってしまいました。次に対戦する時には、その部分をしっかり対策すれば、もっと違う展開に持っていけるんじゃないかと感じています。

 

準決勝のジークスター東京戦は「チームとしてゾーンに入っていた」

 

―みなさんのお話を聞くと、昨シーズンの「1点差」よりも手応えを感じる「1点差」だったということですね。今大会のベストシーンを挙げるとしたら、どの場面が思い浮かびますか。

 

渡部:シーンではないのですが、準決勝の前半で(髙野)颯太が膝を怪我して、後半も出られないくらいの大きな怪我だったんですけど、翌日に決勝を控えた時間がない中で、出場できるようにケアしてくれたスタッフ、その状態でも試合に出場して活躍した颯太の心意気や決勝にかける気持ちの強さがとても頼もしかったです。その心意気に報いるような結果を出せるよう、僕も活躍したいと思いました。

 

髙野:もっといい状態で決勝に臨めていたらと、すごく悔しいですね。準決勝の前半で怪我をして、後半はもしかしたら出られるかもしれないとハーフタイムに動いてみたのですけど、全く動けなくて。「僕は何をしているんだろう」と悔しくて泣いてしまいました。でも「仲間を信じるしかない」と後半が始まった時に切り替えて、ベンチからすごく声を出しました。みんながそれに応えて勝ってくれて、本当に感動しましたし、チームスポーツっていいなとあらためて思いました。

その時点は決勝に出られるかどうかわからなかったのですが、「何がなんでも出たい」とメディカルスタッフに直訴して。決勝当日も「少しでも出て、チームの助けになれるんだったら」と痛み止めを結構飲んで出たのですが、まさかあんなに長く出場する とは想定外でしたね(笑)。アドレナリンが出ていたので案外動けたのですが、結局はレッドカードをもらってしまって、不完全燃焼な終わり方になってしまいました。

 

 

渡部:準決勝は、颯太の怪我に加えて、同じポジションの岡元(竜生)が前半に退場になってしまって。ベンチ入りした16人中2人が出られない状況で、藤本さんがポストをしたり、アイク(富永聖也)がディフェンスで複数ポジションで身体を張ったり、本来のポジションじゃないところをこなしてくれた選手たちがいました。あの試合は、僕がブレイヴキングスに入ってからの10年間で一番の総力戦でしたね。本当にチームスポーツの醍醐味というか、チームワークや総合力が発揮された試合でした。

 

 

櫻井:準決勝の相手、ジークスター東京とは、11月30日リーグ戦ではフルメンバーで対戦して27-27の引き分けだったので、前半で2人欠けた時にはすごくプレッシャーを感じましたし、かなり厳しい状況になったと思いました。

 

渡部:あの時はみんな「熱く狂っていた」というか、チームとしてゾーンに入っている感覚でした。

 

 

―チーム内大会MVPを選ぶとしたら、どの選手になりますか。

 

髙野・櫻井:キーパー陣です。

 

岡本:ディフェンス陣。

 

渡部:僕はディフェンスだったら颯太か睦哉。颯太もジークスター東京戦であれだけの怪我をしたにもかかわらず、豊田合成戦に頑張って出てくれていたし、睦哉はバラスケス選手をあれだけ思い通りにさせなかったのはすごいと思う。この2人のどちらか、いや、どちらもMVPだと思います。

ゴールキーパー 陣を含めたディフェンスを殿堂入りと考えて、それ以外で挙げるとすると、僕は吉野(樹)かなと思います。苦しい時間に点を取る、さすがエースという活躍でした。僕はその対角のポジションを担っていたんですけど、すごく助けられた時間帯、試合がありました。吉野の負担を減らせるようにもっと頑張らないと、と感じた大会でした。

 

 

「優勝しか見ていない」

 

―2月からリーグH後半戦が始まります。リーグH初代王者になるためには、何が鍵になりそうですか。

 

渡部:キーパーじゃないですか。うちのキーパー陣は毎試合セーブ率がすごくいいんですけど、出場時間をベンチ入りの2人で半々くらいで分け合っているので、(規定のシュート数に達しないため)リーグのランキングに載らないんですよ。僕としては、すごく止めているのに個人賞がとれなくてかわいそうだなと思っていて。もちろんディフェンスが機能しないと阻止率も上がらないので、日本選手権で見せたアグレッシブなディフェンスを発揮して、キーパーを含めたディフェンス陣でタイトルを総なめにしてほしいです。本人がどう思っているかはわからないですけど……。

 

岡本:僕は、チームが勝つことだが第一だと思うので、セーブ率の個人タイトルは獲れなくてもいいと思っています。

リーグの前半戦でジークスター東京に引き分けて、豊田合成には敗れているので、前半戦と全日本選手権での悔しさを後半戦にぶつけて、ここから全勝したいです。

 

 

髙野:個人的には昨シーズンベストディフェンダー賞を受賞させてもらったので、今シーズンも獲れたらいいなと思っていますけど、ディフェンスが良すぎると、キーパーにボールが飛んでいかないので、ますます阻止率のランキングに入りにくくなる。その点はキーパー陣には申し訳ないところですが、僕はディフェンスを頑張ります。

僕はブレイヴキングスに入ってから、まだプレーオフで優勝したことがないので、今シーズンこそプレーオフの優勝を味わってみたい。万年2位で「シルバーコレクター」と言われてきましたが、これからは「ゴールドコレクター」になりたい。優勝しか見ていないです。

 

櫻井:僕もディフェンスをもっと頑張ります。ラースHCからは1試合通して常に高いクオリティーを求められているのですが、日本選手権の決勝でも少しクオリティーが下がる場面がありました。優勝するためにはいかにクオリティーの高い時間を増やせるかが鍵になると思うので、常に高いパフォーマンスが維持できるようにエネルギーを注いで、優勝を勝ち取りたいです。

 

 取材・文/山田智子

2025/01/06