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ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。
今シーズン、驚異的なシュート率でチームに貢献している日本屈指のサイドプレーヤー・杉岡尚樹選手。なぜ杉岡選手は正確にシュートを決めることができるのか。その理由を様々な角度から探った。
驚異の90%超、杉岡選手のシュート率を支えるもの
―第21節を終えて、シュート率はダントツの90.1%です。杉岡選手はなぜこれほどの確率でシュートを決めることができるのか知りたい人は多いと思います。まずはサイドシュートを打つ際に意識していることを教えてください。
杉岡:その質問はよく聞かれるのですが、僕のシュートは本当にベーシック。僕は、前ではなくてしっかりと上に跳んで、最後までゴールキーパーを見るということを大切にしています。跳んですぐに打つことはあまりしませんし、フェイントもあまり使いません。
器用なタイプではないので、フェイントをすることによって、自分の体勢が崩れてしまうよりはどこにでも打てる体勢で常に跳ぶということを大事にしています。 待って、待って、ゴールキーパーが打つ瞬間に動くところまで見て打つ。ただ、良いゴールキーパーは最後まで動かないので、そこに対して打ち抜いていくのは、レベルの高い勝負だと思っています。
―事前に対戦相手のゴールキーパーの研究をされますか。
杉岡:シュートを打った時にどう動いているのかは映像を見て確認しますが、だからといって自分のやることを基本的に変えることはないです。僕はその瞬間の「リアル」が大事だと考えていて、あまり前もってイメージを作り過ぎてしまうとそれと違った時に面を食らってしまって上手くいかないことも経験してきたので。
―例えば、4月12日行われた豊田合成戦。相手のゴールキーパーは日本代表の中村 匠選手で、あの日中村選手は絶好調でした。1本目のサイドシュートを止められて、2本目は決め切りました。まさに「非常にレベルの高い勝負」だったと思うのですが、1本目と2本目は何か変化をつけたのですか?
杉岡:あの時は、1本目は無理やり打ちに行ったので、決めることができなかったのですが、自分の感覚としてはゴールキーパーもよく見えていましたし、ジャンプの高さもいつも通りの感覚だったので、焦りなどはありませんでした。次にチャンスがきたら、いつも通り上に跳んで、キーパーを見て打とうと考えていました。
若い頃は、1本目を外したら、「やばい、次は絶対に決めないと」と焦ってしまったと思うのですが、今は自分が100%の飛び込みやジャンプができていたら、たとえ止められても、「たまたま止められただけ」「相手が良かっただけ」と冷静に考えられる。
こういう言い方をすると自信家のように聞こえるかもしれませんが、今でも毎試合緊張しますし、試合までに本数を打って、自分の100%のシュートを打つ自信ができるまで準備をしているという感覚ですね。
―平均どれくらいシュート練習をしているのですか?
杉岡:特に何本とか打つ本数は決めていないのですが、最近はチーム練習が終わった後に、右サイドの櫻井睦哉と岡本翔馬 が「杉さん、一緒に練習しましょう」と言ってくれるので、僕対彼ら2人で、6本決めた方が勝ちという対戦形式で、緊張感を持って練習していますね。
―「杉岡塾」ですね。
杉岡:僕が何かを教えるということはないですよ。それぞれに持っているものが違うので。
櫻井なら身長が高いので、僕には打てないシュートも打てます。岡本はサイドになったばかりなので、色々と試している段階です。
子どもたちに教える時も同じですが、僕の方法が他の人に当てはまるかどうかは分からないので、教えることはほとんどないですけど、僕はまだ負けたことがないです!
だいぶ角度のハンディをあげているんですけどね。
―さすがです!
杉岡:ゴールキーパーには、僕の同期の岡本大亮に入ってもらっています。大亮も本数を受けて、細かい調整をしたいタイプなので、いつもその4人で練習しています。 大亮とは1年目からずっと、チーム練習が終わったらゴールキーパーに入ってもらって、何百本、何千本と一緒に練習してきました。大亮に一番シュートを打っているのは僕じゃないですかね?
「今のシュートどう見えた?」と聞いたり、僕が跳んだ時に大亮が動くのが早かったら「今、動くのが早かったよ」と伝えたり。もう一人の同期、吉野樹も含む3人で、特に1年目は、時間にしたら1〜2時間、「お前ら帰れよ」と言われるくらいずっとシュート練習していました。今となってはいい思い出ですね。
―杉岡選手、岡本(大) 選手、吉野選手の3人が、BK刈谷の中心選手として、日本代表として活躍しているのは、そういう積み重ねがあるからなんですね。
杉岡:量をこなすということは、シュートが上手くなるために欠かせない要素だと思います。
100m走16秒3から、チーム最速へ
―もう一つ、杉岡選手といえば、速攻の飛び出しが圧倒的に速いというのも特筆すべき点で、ゴールキーパーとの1対1の場面を多く作りだせていることも、シュート率の高さにつながっていると思います。
杉岡:そうですね。うちのチームはディフェンスがかなり強いので、ある程度見切りをつけて走り出しています。
相手のプレーがミスになりそうなのか、フリースローになりそうなのか、経験的に大体分かるので、ミスになるなと思ったらパッと飛び出して、ボールを奪った選手からのパス1本でシュートまで持ち込むのがチームにとって一番効率がいい攻撃です。
たまに速すぎてラースHCから「ルーズボールも見なさい」と怒られますけど(笑)。
―子どもの頃から足が速かったのですか?
杉岡:遅かったです。今でもはっきりと覚えているのですが、中学の時は、100m走のタイムが16秒3だったんですよ。今は100mのタイムは測らないのでわからないですが、30m走は最高で3秒8で、このチームでは1番速いですね。
―速く走るために、特別なトレーニングをされたのですか?
杉岡:今でこそ走りに直結するトレーニングをしていますが、中学高校、大学時代に特別に何かしてはいないです。ただ一生懸命ハンドボールをしてきただけです。
―杉岡選手みたいになりたいという子どもたちに何かアドバイスをするとしたら?
杉岡:陸上選手ではないので、足を速くするためのトレーニングは教えられないですが、常に全力を出すということが大事なんじゃないかと思います。
全力を出し続けなければ、自分の限界は上がっていかないので。一生懸命ハンドボールをしていれば足は早くなっていくと思います。
僕がそうだったので。
コンディションの良さとオリンピックの
経験が今季の好調につながっている
―これまでのシーズンで、最もシュート率が高かったのが、第47回大会(2022-23)の84.0%。それでも十分に高い数字なのですが、さらに今シーズン、特にシュート率が高くなっている要因について、どのように自己分析されていますか。
杉岡:今シーズンに関しては、身体のコンディションをいい状態で維持できていることが大きいと思います。 昨シーズンの10月に行われたパリオリンピックの予選の予選ラウンドで肉離れをしてしまいました。
日本は優勝してオリンピックの切符を掴むことができたのですが、代表から帰ってきた後調子がガタ落ちしてしまって……。怪我によって、シュートの時の感覚がいままでと全く違ったものになってしまい、全くシュートが入らない試合を何度も経験しました。 苦しいシーズンを送ったので、今シーズンは遠藤メディカルトレーナーにケアをしてもらい、帆山S&Cコーチと僕の弱点を強化するようなトレーニングをして、いいコンディションを維持できていることが一番の要因ですね。
もう一つは、パリオリンピックで、自分と同じポジションの選手や相手のゴールキーパーなど色々な刺激を受けたこともあります。基本に忠実にという大枠の考え方は変わらないのですが、今も練習で「もっとこうした方がいいのではないか」と毎日頭の中で模索する中で、引き出しが増えてきた感覚があります。1月に世界選手権で負けたことも、まだまだ成長できるとポジティブに捉えています。
努力して、勝つことの喜びを知った原体験が今に生きる
―2月にリーグ通算800得点を達成しました。これまでのハンドボール人生でターニングポイントになった出来事を教えてください。
杉岡:僕の地元の京都府京田辺市は毎年全国小学生ハンドボール大会が開催される場所で、各小学校に必ずハンドボールクラブがあるくらい、盛んな街でした。そこで僕もハンドボールに出会って、最初は遊びで緩い感じでやっていました。
そのチームに恩師の石田真由美先生が来て、初めて親以外の大人に厳しくされたというか、練習がいきなりキツくなったんですけど、これまで全然勝てなかった相手に勝てるようになったんですよ。
その時に単にハンドボールをする楽しさだけではなくて、ハンドボールをして勝つことの楽しさを知りました。僕はただ必死だったので、何か変わって勝てるようになったのかはわかりませんが、僕にとっての一つのターニングポイントでした。
―ある種の成功体験というか、ハンドボールに真剣に取り組んで勝つ喜びを味わったのですね。
杉岡:2つ目の転機は大学です。出身の中央大学は、いまでは2021年から2024年までインカレで4連覇するくらいのトップレベルの大学なのですが、僕が入学した当時は関東リーグの2部で、インカレでは1回戦で敗退するレベルでした。
日本リーグに入る選手もほとんどいませんでした。 幸運なことに、僕の同期の6人が負けず嫌いばかりで、「自分たちの代で、部内のルールなどいろいろと変えていこうぜ」と前向きだったので、僕がキャプテンだったのですが、練習の内容を変えたり量を増やしたり。ハンドボールだけではなく、チームの運営についても色々と考えて、改革していきました。
―そうした改革が、4年時のインカレでの3位という結果に結びついたのですね。
杉岡:やっぱり負けるのは悔しいので、勝ちたいと思ったのが一番ですけど、日本リーグに行きたいと考えていたので、スカウトされるためには2部にいては難しい。
そのためには自分が活躍するだけでなく、チームを勝たせないと難しいという感覚がありました。2014年の関東学生ハンドボール秋季リーグで得点王を獲ったんですが、その時に得点能力がついたんじゃないかと思います。
大学で活躍して、トライアウトを経て、酒巻(清治)さんにトヨタ車体に入らせてもらったことが、一番人生が変わった瞬間だと思います。
―トヨタ車体に入ってからはいかがでしたか。
杉岡:門山(哲也)さん、笠原(謙哉)さん、(渡部 )仁さんに出会って、トレーニングに対する姿勢や、プレーそのものの質や強度の高さに衝撃を受けて、もっとやらなければいけないと僕のマインドが変わりました。
大学時代は自分が一番練習していると思っていたのですが、自分よりも上手い人たちが僕以上に必死にトレーニングをしているのを見て、本当に驚きました。
特に当時の仁さんはサイドの選手だったので、あれだけ身長があるのに、すごく速く動ける。ああいう選手になるにはどうしたらいいのだろうとすごく考えました。
環境が変わると、それに適応しようと頑張るじゃないですか。レベルの高い環境に来させてもらったからこそ、今の自分になれたというのはあると思います。
同期にも恵まれました。3人で刺激しあって、3人でオリンピックに一緒に行くことができましたし、大きな怪我もなく3人でここまで来られた というのはめちゃくちゃ嬉しいことですね。
―今シーズン3選手ともに非常に好調ですね。
杉岡:終わったあとに、「黄金世代」と言ってもらえるように、頑張ります! そのためにも、豊田合成戦の負けをこれからにどう繋げていくかが大事になってくると思います。
残りのレギュラーシーズンを全勝して、1位でプレーオフに行くことが優勝するための重要なポイントになってくると思うので、ぜひ会場に応援に来てください。そして最後に東京で勝って、みんなで笑い合いましょう。
2025/04/24