BACKYARD BRAVEKINGS

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【BACKYARD BRAVEKINGS#6】富永 聖也選手インタビュー

いつもトヨタ車体ブレイヴキングスへご声援いただきありがとうございます。
トヨタ車体ブレイヴキングスのメンバーがとる行動や想いの背景、裏側、バッググラウンドを、ファンの皆さんに深く知っていただけるよう、インタビューやコラムで掘り下げてご紹介していきます。

 

 

今回は若手選手をクローズアップ:成長著しい入団2年目の富永聖也選手。着実にプレータイムを伸ばし、荒削りながらも攻守にわたって存在感を増している。しかし順調に見える今シーズンは、裏ではいろいろと悩み試行錯誤の連続だったという。

 

ラースHC(ヘッドコーチ)のもとで、飛躍した一年

 

―入団からの2年間でどんな部分が成長したと感じていますか。

 

富永:入団当初は体重が84キロほどしかなく、ディフェンスで押し込まれることがありました。体重を増やし、体幹を鍛えたことで、当たり負けもしなくなってきました。

分岐点になったのは、昨年のプレーオフで左肩を脱臼したことです。自分は試合中に病院に運ばれ、勝ってくれ、ファイナルに進んでくれとただ祈るだけでした。みんなが頑張って、試合に勝ったよ、次はファイナルだよと電話してくれて号泣してしまって。このチームで良かったなとめちゃくちゃ思いました。しかし最後まで戦えなかったのはやっぱりとても悔しかったです。

昨季のプレーオフ決勝は激闘を見守ることしかできず そのくやしさが成長につながった

 

その後は2〜3ヶ月ボールに触れなかったのですが、ちょうどオフシーズンだったので、体づくりにじっくりと向き合うことができました。

大学時代に肩の怪我をした時は、試合に出たい気持ちが先行して、無理してプレーを続けた結果、怪我を長引かせてしまいました。今回はその経験を生かして、しっかりと治すことができましたし、課題であった体幹トレーニングに取り組むよい機会にもなりました。

 

―プレーの面では、どのような成長を感じていますか。

 

富永:今シーズンはラース(・ウェルダー)ヘッドコーチ(HC)に代わって、自分自身のやるべきことも変わりました。最初は戸惑うこともありましたが、最近はプレータイムも伸びて、大きく成長できた一年だったと感じています。

得意のディフェンスで速攻につなげチームに流れをつくる

 

―役割はどのように変化したのでしょうか。

 

富永:僕は(吉野)樹さんの交替で出る形が多いのですが、今まではあまり流れを考えずにガンガンシュートを打って、その結果流れを悪くしてしまうことがありました。

「途中から出る選手にはチームの雰囲気や流れを見る役割がある。1人でガンガン攻めすぎるのは、例えて言うなら、周りが正常運転なのに、1人だけバイクでずっとふかしているようなものだ。今、チームがどのような状況にあるのかを考えてプレーしろ」とラースHCにみんなの前で叱られて、それから流れを意識してプレーするようになりました。

ディフェンスについては、最近は真ん中を守ることも多いですし、自信を持っています。しっかりとディフェンスして、そこから速攻につなげて、ゲームの流れを作る役割を担っていきたいです。

 

―今シーズン、自分の強みを最も発揮できたと感じるのはどの試合ですか。

 

富永:昨年6月の全日本社会人選手権大会は調子がよく、リーグ戦もこのままの調子でいきたいと考えていたのですが、調子を落とし、プレータイムをもらいながらも得点ができない試合が続きました。シュートも入らないし、思ったプレーができない。「なんでなんだろう」と半年ほど悩み続けて、ようやく12月の日本選手権くらいから自分のプレーができるようになってきました。今年4月のジークスター戦では自分のやりたかった動きができて、自信になりました。

 

―自分のやりたかったプレーとは?

 

富永:カットインが好きなので、間を割るプレーや相手の隙を突く動きは自分の強みだと思っています。最近はアシストも好きになってきました。ポストパスやサイドへのパスは練習の成果が出てきているので、自分が点を取るだけでなく、周りを生かすことにも楽しさを感じています。また、ポストプレーは今シーズン通して強化してきたポイントで、少しずつ納得のいくプレーができるようになってきています。

プレーの幅を増やすため体幹を強化

 

―今のお話を聞いて調べてみたのですが、前半9試合のシュート率は37%、11月の琉球コラソン戦から4月のゴールデンウルヴス福岡までの後半12試合は60%と大幅に伸びていますね。悩んでいた半年はどのように過ごしていたのですか。

 

富永:コアトレーニングを徹底的にしましたし、食事の面もYouTubeを見て自分なりに勉強しました。

 

―YouTubeで学ぶというのが、今どきっぽいですね。

 

富永:いろいろと研究する中でたどりついたのが、バスケットボールNBAの選手のYouTube。NBA選手は身長も高くて体重もあり、スピードもパワーも必要な競技なので参考になると考えました。お米をパンやパスタなど小麦になるべく変えて、朝食も寮の食事だけではなくシリアルや自分で用意したバナナを食べています。今はよいコンディションが保てているので、これを継続したらこの先どれぐらい強化できるのだろうと、楽しみながら試しています。

富永の持ち味はしなやかでダイナミックなプレー

 

レベルの高い環境の方が成長できる

 

―ブレイヴキングスは日本代表選手も多く、他のチームであれば先発で出られる力を持った選手がなかなかプレータイムを獲得できない状況にあります。その点についての葛藤はありませんでしたか。

 

富永:樹さん、(渡部)仁さん、杉(杉岡尚樹)さんなど代表選手が多いことは入団前から分かっていました。大学の監督からも「試合に出られないかもしれないぞ」と言われましたが、簡単な道よりもいろいろ経験ができる方が自分にとってもプラスになると考えました。

僕は熊本の天草という田舎の出身で、高校時代は無名でしたが、そこからいきなり東京の大学に行きました。その時と同じで、レベルの高い場所に飛び込んだことで濃い経験を積めています。2年目でこんなに長く試合に出られると思っていなかったので、順調というか、うまく行き過ぎているくらいです。

 

―吉野選手、渡部選手、杉岡選手との差はこの2年間で縮まってきていると感じていますか。

 

富永:縮まっていると思いたいんですけど……。彼らは“天才”なので、簡単には届かないです。個人技でも点が取れますし、相手を見てプレーできますし、本当にすごい選手たちです。

ラースHCからは「吉野に勝たないとスタートでは出られないよ」とずっと言われているので、勝てるように頑張っています。

 

―1月のアジア選手権では日本代表でも活躍しました。その経験はどのように生かされていますか。

 

富永:一番学んだのは戦う姿勢です。ダグル(・シグルドソン前)HCの「人生をかけて戦え」という言葉が最も心に残っています。海外の選手は人生をかけて挑んできているので、僕たちはそれを跳ね返す強い気持ちで戦わないと相手にならないと思い知らされました。試合に対する気持ちを変えることが大きく変わったところです。

完全アウェーの中、バーレーンに勝てたこともいい経験でしたし、決勝のカタール戦では、グループステージとは全く違う戦う姿勢を見せつけられました。人生を賭けて戦う人はこんなにも目の色が変わるんだと目の当たりにしたことは大きな経験でした。

 

―先ほど熊本の天草の出身という話が出ましたので、子どもの頃のお話を聞かせてください。

 

富永:同級生は男子4人、女子4人の8人。保育園から中学までずっと一緒に育ってきました。小学校ではサッカーをしていたのですが、中学校は部活がハンドボールしかなかったので、必然的にハンドボール部に入ることになりました。中学校の前に川があるのですが、釣りをしたり、練習で汗をかいて汚れたらそのまま川に入ったりして楽しい子ども時代を過ごしました。

 

―中学校は藤本純季選手と同じ都呂々中学校。藤本選手、富永選手、そして岩下祐太(トヨタ紡織九州レッドトルネード佐賀)とハンドボールの日本代表選手を3人も輩出しています。

 

富永:僕を指導してくださった監督のお父さんが監督を務めていた30年ほど前に日本一になったことがあります。僕たちの頃は人数も少なかったので、県大会にも出ていませんし、天草市の大会で負けることもあったのですが、練習は厳しく、朝8時半から12時半まで走りっぱなしということもよくありました。

バネを生かした高い打点からのシュート シーズン後半は精度が大幅向上しシュート率6割を越える

 

―富永選手はウガンダ出身の父と日本人の母のミックスルーツを持っています。そのことで悩んだことはありませんでしたか。

 

富永:小さい頃は悩んだこともありましたが、スポーツを始めてからはそういういうことも気にならなくなりました。最初は下に見られることもあるのですが、いいプレーをすれば何も言われなくなります。そういう経験を経て、ハングリー精神が強くなったと感じています。

僕は英語が話せないのですが、外国の方から英語で話しかけられたら困ってしまうのと同じで、初対面の人は僕とどうコミュニケーションをとったらいいのか困惑しているだけなのかなと割り切れるようにもなりました。

バスケットボール日本代表の八村塁選手にも勇気をもらいました。肌の色が違うと日本人と見なされないこともありますが、八村選手が日本人としての誇りを持って戦っている姿を見て、「僕も日本人でいていいんだ」と感じることができるようになりました。僕も将来的に日本人としての誇りを持って海外でプレーしたいという目標を持っているので、彼の活躍は励みになります。

 

ハンドボールを理解しているファンの存在が成長を促す

満員のお客さまの声援が富永を熱くする

 

―4月6日のジークスター東京戦では約2,000人のファンの前でプレーオフ進出を決めました。

 

富永:たくさんのファンの皆さんの前でプレーできて、本当に楽しかったです。ブレイヴキングスの選手は大舞台になればなるほど活躍する人が多い。たくさんの声援と華やかな演出で素晴らしい雰囲気を作ってもらって、負けるわけにはいかないですからね。

ブレイヴキングスのファンはとても温かくて、ハンドボールを理解している方が多い印象です。試合中も「がんばれ」「ここだぞ!」と励ましてくれるので、すごく力になっています。チケット代を払って観にきてくれるファンのためにも下手なプレーはできません。「しっかりプレーしなければ」という自覚も強くなりました。

同期の櫻井睦哉と 若手の成長がチームの飛躍のカギ

 

―若手選手から見て、今シーズンのチームはどこが変わったと感じますか。

 

富永:一番違うのは気持ちの面ではないでしょうか。去年までは相性の悪い相手に対しては少し弱気になってしまうところがありました。今年はそれぞれの役割がはっきりしていることもあって、対戦相手がどこであろうと自分たちのやるべきことをやれば勝てるという自信を全員が持っています。ラースHCがそれぞれの役割ややるべきことを徹底していることもありますし、練習からアグレッシブにプレーしているので、試合の方が楽に感じるということも大きいと思います。

 

―今後に向けて、あらためて意気込みを聞かせてください。

 

富永:リーグ戦を1位で通過して、プレーオフもしっかり勝って、ファンの皆さんに恩返しをしたい。

個人的にはしっかりと与えられた役割を果たせるように、練習にしっかりと取り組んでいます。調子の良かった4月のジークスター戦のパフォーマンスを継続できるよう、準備をしっかりして、どんな状況でも自分のプレーができる選手になりたいです。

パリ五輪も目指しています。一つの課題をクリアするとまた次の課題が出てくるので永遠に完成はないですが、一つひとつ乗り越えながら成長を続けていきたいです。

 

発行/2024年4月
取材・文/山田智子

2024/04/26