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【FOCUS ON BRAVEKINGS #6】驚異の90%超、杉岡選手のシュート率を支えるもの

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございます。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

       

今シーズン、驚異的なシュート率でチームに貢献している日本屈指のサイドプレーヤー・杉岡尚樹選手。なぜ杉岡選手は正確にシュートを決めることができるのか。その理由を様々な角度から探った。

 

驚異の90%超、杉岡選手のシュート率を支えるもの

 

―第21節を終えて、シュート率はダントツの90.1%です。杉岡選手はなぜこれほどの確率でシュートを決めることができるのか知りたい人は多いと思います。まずはサイドシュートを打つ際に意識していることを教えてください。

 

杉岡:その質問はよく聞かれるのですが、僕のシュートは本当にベーシック。僕は、前ではなくてしっかりと上に跳んで、最後までゴールキーパーを見るということを大切にしています。跳んですぐに打つことはあまりしませんし、フェイントもあまり使いません。

器用なタイプではないので、フェイントをすることによって、自分の体勢が崩れてしまうよりはどこにでも打てる体勢で常に跳ぶということを大事にしています。 待って、待って、ゴールキーパーが打つ瞬間に動くところまで見て打つ。ただ、良いゴールキーパーは最後まで動かないので、そこに対して打ち抜いていくのは、レベルの高い勝負だと思っています。

 

 

―事前に対戦相手のゴールキーパーの研究をされますか。

 

杉岡:シュートを打った時にどう動いているのかは映像を見て確認しますが、だからといって自分のやることを基本的に変えることはないです。僕はその瞬間の「リアル」が大事だと考えていて、あまり前もってイメージを作り過ぎてしまうとそれと違った時に面を食らってしまって上手くいかないことも経験してきたので。

 

―例えば、4月12日行われた豊田合成戦。相手のゴールキーパーは日本代表の中村 匠選手で、あの日中村選手は絶好調でした。1本目のサイドシュートを止められて、2本目は決め切りました。まさに「非常にレベルの高い勝負」だったと思うのですが、1本目と2本目は何か変化をつけたのですか?

 

杉岡:あの時は、1本目は無理やり打ちに行ったので、決めることができなかったのですが、自分の感覚としてはゴールキーパーもよく見えていましたし、ジャンプの高さもいつも通りの感覚だったので、焦りなどはありませんでした。次にチャンスがきたら、いつも通り上に跳んで、キーパーを見て打とうと考えていました。

 

若い頃は、1本目を外したら、「やばい、次は絶対に決めないと」と焦ってしまったと思うのですが、今は自分が100%の飛び込みやジャンプができていたら、たとえ止められても、「たまたま止められただけ」「相手が良かっただけ」と冷静に考えられる。

こういう言い方をすると自信家のように聞こえるかもしれませんが、今でも毎試合緊張しますし、試合までに本数を打って、自分の100%のシュートを打つ自信ができるまで準備をしているという感覚ですね。

 

 

―平均どれくらいシュート練習をしているのですか?

 

杉岡:特に何本とか打つ本数は決めていないのですが、最近はチーム練習が終わった後に、右サイドの櫻井睦哉と岡本翔馬 が「杉さん、一緒に練習しましょう」と言ってくれるので、僕対彼ら2人で、6本決めた方が勝ちという対戦形式で、緊張感を持って練習していますね。

 

―「杉岡塾」ですね。

 

杉岡:僕が何かを教えるということはないですよ。それぞれに持っているものが違うので。

櫻井なら身長が高いので、僕には打てないシュートも打てます。岡本はサイドになったばかりなので、色々と試している段階です。

子どもたちに教える時も同じですが、僕の方法が他の人に当てはまるかどうかは分からないので、教えることはほとんどないですけど、僕はまだ負けたことがないです! 

だいぶ角度のハンディをあげているんですけどね。

 

―さすがです!

 

杉岡:ゴールキーパーには、僕の同期の岡本大亮に入ってもらっています。大亮も本数を受けて、細かい調整をしたいタイプなので、いつもその4人で練習しています。 大亮とは1年目からずっと、チーム練習が終わったらゴールキーパーに入ってもらって、何百本、何千本と一緒に練習してきました。大亮に一番シュートを打っているのは僕じゃないですかね? 

「今のシュートどう見えた?」と聞いたり、僕が跳んだ時に大亮が動くのが早かったら「今、動くのが早かったよ」と伝えたり。もう一人の同期、吉野樹も含む3人で、特に1年目は、時間にしたら1〜2時間、「お前ら帰れよ」と言われるくらいずっとシュート練習していました。今となってはいい思い出ですね。

 

 

―杉岡選手、岡本(大) 選手、吉野選手の3人が、BK刈谷の中心選手として、日本代表として活躍しているのは、そういう積み重ねがあるからなんですね。

 

杉岡:量をこなすということは、シュートが上手くなるために欠かせない要素だと思います。

 

100m走16秒3から、チーム最速へ

 

―もう一つ、杉岡選手といえば、速攻の飛び出しが圧倒的に速いというのも特筆すべき点で、ゴールキーパーとの1対1の場面を多く作りだせていることも、シュート率の高さにつながっていると思います。

 

杉岡:そうですね。うちのチームはディフェンスがかなり強いので、ある程度見切りをつけて走り出しています。

相手のプレーがミスになりそうなのか、フリースローになりそうなのか、経験的に大体分かるので、ミスになるなと思ったらパッと飛び出して、ボールを奪った選手からのパス1本でシュートまで持ち込むのがチームにとって一番効率がいい攻撃です。

たまに速すぎてラースHCから「ルーズボールも見なさい」と怒られますけど(笑)。

 

―子どもの頃から足が速かったのですか?

 

杉岡:遅かったです。今でもはっきりと覚えているのですが、中学の時は、100m走のタイムが16秒3だったんですよ。今は100mのタイムは測らないのでわからないですが、30m走は最高で3秒8で、このチームでは1番速いですね。

 

―速く走るために、特別なトレーニングをされたのですか?

 

杉岡:今でこそ走りに直結するトレーニングをしていますが、中学高校、大学時代に特別に何かしてはいないです。ただ一生懸命ハンドボールをしてきただけです。

 

―杉岡選手みたいになりたいという子どもたちに何かアドバイスをするとしたら?

 

杉岡:陸上選手ではないので、足を速くするためのトレーニングは教えられないですが、常に全力を出すということが大事なんじゃないかと思います。

全力を出し続けなければ、自分の限界は上がっていかないので。一生懸命ハンドボールをしていれば足は早くなっていくと思います。

僕がそうだったので。

 

コンディションの良さとオリンピックの
経験が今季の好調につながっている

 

―これまでのシーズンで、最もシュート率が高かったのが、第47回大会(2022-23)の84.0%。それでも十分に高い数字なのですが、さらに今シーズン、特にシュート率が高くなっている要因について、どのように自己分析されていますか。

 

杉岡:今シーズンに関しては、身体のコンディションをいい状態で維持できていることが大きいと思います。 昨シーズンの10月に行われたパリオリンピックの予選の予選ラウンドで肉離れをしてしまいました。

 

日本は優勝してオリンピックの切符を掴むことができたのですが、代表から帰ってきた後調子がガタ落ちしてしまって……。怪我によって、シュートの時の感覚がいままでと全く違ったものになってしまい、全くシュートが入らない試合を何度も経験しました。 苦しいシーズンを送ったので、今シーズンは遠藤メディカルトレーナーにケアをしてもらい、帆山S&Cコーチと僕の弱点を強化するようなトレーニングをして、いいコンディションを維持できていることが一番の要因ですね。

 

もう一つは、パリオリンピックで、自分と同じポジションの選手や相手のゴールキーパーなど色々な刺激を受けたこともあります。基本に忠実にという大枠の考え方は変わらないのですが、今も練習で「もっとこうした方がいいのではないか」と毎日頭の中で模索する中で、引き出しが増えてきた感覚があります。1月に世界選手権で負けたことも、まだまだ成長できるとポジティブに捉えています。

 

努力して、勝つことの喜びを知った原体験が今に生きる

 

―2月にリーグ通算800得点を達成しました。これまでのハンドボール人生でターニングポイントになった出来事を教えてください。

 

杉岡:僕の地元の京都府京田辺市は毎年全国小学生ハンドボール大会が開催される場所で、各小学校に必ずハンドボールクラブがあるくらい、盛んな街でした。そこで僕もハンドボールに出会って、最初は遊びで緩い感じでやっていました。

 

そのチームに恩師の石田真由美先生が来て、初めて親以外の大人に厳しくされたというか、練習がいきなりキツくなったんですけど、これまで全然勝てなかった相手に勝てるようになったんですよ。

その時に単にハンドボールをする楽しさだけではなくて、ハンドボールをして勝つことの楽しさを知りました。僕はただ必死だったので、何か変わって勝てるようになったのかはわかりませんが、僕にとっての一つのターニングポイントでした。

 

―ある種の成功体験というか、ハンドボールに真剣に取り組んで勝つ喜びを味わったのですね。

 

杉岡:2つ目の転機は大学です。出身の中央大学は、いまでは2021年から2024年までインカレで4連覇するくらいのトップレベルの大学なのですが、僕が入学した当時は関東リーグの2部で、インカレでは1回戦で敗退するレベルでした。

 

日本リーグに入る選手もほとんどいませんでした。 幸運なことに、僕の同期の6人が負けず嫌いばかりで、「自分たちの代で、部内のルールなどいろいろと変えていこうぜ」と前向きだったので、僕がキャプテンだったのですが、練習の内容を変えたり量を増やしたり。ハンドボールだけではなく、チームの運営についても色々と考えて、改革していきました。

 

―そうした改革が、4年時のインカレでの3位という結果に結びついたのですね。

 

杉岡:やっぱり負けるのは悔しいので、勝ちたいと思ったのが一番ですけど、日本リーグに行きたいと考えていたので、スカウトされるためには2部にいては難しい。

そのためには自分が活躍するだけでなく、チームを勝たせないと難しいという感覚がありました。2014年の関東学生ハンドボール秋季リーグで得点王を獲ったんですが、その時に得点能力がついたんじゃないかと思います。

大学で活躍して、トライアウトを経て、酒巻(清治)さんにトヨタ車体に入らせてもらったことが、一番人生が変わった瞬間だと思います。

 

 

―トヨタ車体に入ってからはいかがでしたか。

 

杉岡:門山(哲也)さん、笠原(謙哉)さん、(渡部 )仁さんに出会って、トレーニングに対する姿勢や、プレーそのものの質や強度の高さに衝撃を受けて、もっとやらなければいけないと僕のマインドが変わりました。

大学時代は自分が一番練習していると思っていたのですが、自分よりも上手い人たちが僕以上に必死にトレーニングをしているのを見て、本当に驚きました。

 

特に当時の仁さんはサイドの選手だったので、あれだけ身長があるのに、すごく速く動ける。ああいう選手になるにはどうしたらいいのだろうとすごく考えました。

環境が変わると、それに適応しようと頑張るじゃないですか。レベルの高い環境に来させてもらったからこそ、今の自分になれたというのはあると思います。

同期にも恵まれました。3人で刺激しあって、3人でオリンピックに一緒に行くことができましたし、大きな怪我もなく3人でここまで来られた というのはめちゃくちゃ嬉しいことですね。

 

―今シーズン3選手ともに非常に好調ですね。

 

杉岡:終わったあとに、「黄金世代」と言ってもらえるように、頑張ります! そのためにも、豊田合成戦の負けをこれからにどう繋げていくかが大事になってくると思います。

 

残りのレギュラーシーズンを全勝して、1位でプレーオフに行くことが優勝するための重要なポイントになってくると思うので、ぜひ会場に応援に来てください。そして最後に東京で勝って、みんなで笑い合いましょう。

 

2025/04/24

【FOCUS ON BRAVEKINGS #5 】カキツバタカラーが取り持った、2つの新たな連携プレー

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ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

「カキツバタ」

 

2月15日、刈谷市体育館で行われた安芸高田わくながハンドボールクラブ戦の勝利チームインタビュー。アリーナMCからこの日着用した紫ユニフォームの意味を聞かれたパウエル・パチコフスキー選手は流暢な日本語でこう叫び、満員のアリーナを沸かせた。

 

 

カキツバタは、ブレイヴキングス刈谷がホームタウンとする刈谷市の花だ。この日、アリーナをいつもの赤黒からカキツバタ色に装いを変えて行われた「刈谷シリーズ」は、2つのつながりを強化するために企画されたという。カキツバタカラーに染まったアリーナにはどのような思いが込められていたのか、プロジェクトに関わった関係者に話を聞いた。

 

男子ハンドボール部と女子バレーボール部の連携を強化

 

このプロジェクトは1年ほど前に始まった。

 

「トヨタ車体には、男子ハンドボール「ブレイヴキングス刈谷」と、女子バレーボール「クインシーズ刈谷」と、国内トップリーグに所属するチームを2つ保有しているにもかかわらず、練習場が別々なこともあって、これまではあまり交流ができていませんでした。会社として2つのチームが存在している価値を生かしていくべきではと以前から提案をしていました」

 

そう話すのは、門山哲也チームディレクター(TD)だ。

 

「例えば、アルビレックスはサッカー以外にもいろいろな競技のチームを持っていますが、みんな同じオレンジのユニフォームです。一方でトヨタ車体の場合は、ハンドボールは赤でバレーボールは青のユニフォーム。メーカーもデザインも違います。同じトヨタ車体のチームだと感じてもらえるように、何か共通するものを作れないかと考えていました」

 

そんな折、2024年10月にトヨタ車体は男子ハンドボール「ブレイヴキングス刈谷」と女子バレーボール「クインシーズ刈谷」の活動を通じた「スポーツに関する連携協定」を刈谷市と締結する。

 

 

「2024-25シーズンから『ブレイヴキングス刈谷』『クインシーズ刈谷』とチーム名に『刈谷』が入りました。刈谷市のスポーツ振興だけでなく、まちの活性化に寄与するためにも、刈谷市の皆さんとのつながりを深めていきたいと考え、両チーム共通のユニフォームを作るのであれば、刈谷市を象徴するカキツバタカラーにしようという話になりました」とブレイヴキングス刈谷の運営を担当するスポーツ統括部の村永奈央さんは振り返る。

 

※村永さんはかつてクインシーズで活躍した選手で、引退後は2チームの運営を中心に業務を担っている。
“選手”と“スタッフ両方の視点で見られる村永さんだからこそ、行きついた思いがあった。

 

2つのチーム、そして地域との連携を深めるカキツバタカラーのユニフォームは、細部の仕上がりにもこだわった。「最初のデザイン案は薄い紫だったんです。それでは紫という色が伝わりにくいし、今シーズンのユニフォームに採用しているタイヤ痕をモチーフにしたデザインメッセージが伝わらないので、色が変わっても『ダイナミックなプレーや圧倒的な強さ、熱い気持ちや闘争心』というテーマは変わらないように調整しました」。ブレイヴキングス刈谷の魂を残しながら、クインシーズ刈谷、刈谷市とのつながりを表現した門山TDの自信作だ。

 

 

「刈谷シリーズ」として刈谷市の魅力を発信する

 

さまざまな思いが詰まった紫ユニフォーム、ブレイヴキングス刈谷は2月15日と3月29日、クインシーズ刈谷は2月1、2日と3月22、23日のホームゲームで着用することに決まった。素晴らしいユニフォームができたのだから、この特別なユニフォームを引き立て、ホームゲームを刈谷市のさまざまな魅力を発信する機会にしたい。運営スタッフは「刈谷シリーズ」と題して大々的にPRすべく準備を進めていった。

 

「紫と刈谷というキーワードがあったので、この二つを表現できる施策をスタッフみんなで考えていきました。難しかったのは、紫の使い方です。ブレイヴキングス刈谷のチームカラーである赤と黒を残した上で紫を差し色としてプラスするのか、全面的に紫に変えるのかという点でした」(村永さん)

 

 

検討を重ねた結果、会場装飾も紫を全面に打ち出すことに。試合会場では紫のペンライトやシリコンバンド、ハリセンを配布し、選手入場時には360度ぐるりと紫の光が揺れる幻想的な光景を作り出した。

 

 

 

 

イベントも、刈谷市を全面に押し出した。当日は刈谷市の稲垣武市長とマスコットキャラクター・かつなりくんが来場。試合前には稲垣市長が始球式を行った。ハーフタイムには刈谷市を中心に活動している和太鼓チーム「刈谷やぐら太鼓」が演奏を披露し、来場者を楽しませた。

 

 

 

ロビーには刈谷東高校折り紙部の作品が展示された。10cmほどの小さなパーツを組み合わせて作られた全長2mほどの立体のアニメキャラクターや富嶽三十六景をモチーフにした屏風絵など大作の他に、ブレイヴキングス刈谷とのコラボレーションのために制作されたカキツバタの花など、折り紙の概念を変えるような作品がずらりと並ぶ。

「刈谷市の小中高校向けの招待活動を行うで、どこかの学校にブースを出していただけないかと地域の学校についてリサーチしていました。その中で、刈谷東高校に折り紙部があることを知り、お声がけさせていただきました。カキツバタの花やブレイヴキングス刈谷とクインシーズ刈谷のマスコットを作っていただくなど、この機会に積極的に参加していただいて本当にありがたかったです。3月29日の試合では折り紙ワークショップを開催してもらうことになっています」と村永さん。

 

 

 

アリーナグルメは、刈谷市商店街連合会の協力を得て刈谷市内の人気店が揃った。定番の唐揚げや焼きそば、餃子、本格的なイタリアン、コーヒーやスイーツまで。応援のエネルギー補給にと、多くのファンがキッチンカーに長い列を作っていた。

愛知県商店街振興組合連合会の刈谷市商店街マネージャー大中隆志さんは「商店街振興組合連合会はこれまでも、FC刈谷や豊田自動織機女子ソフトボール部シャイニングベガなどスポーツイベントとのコラボレーションをしてきました。子どもたちが身近にトップレベルのスポーツを観られるのは素晴らしいと思いますし、商店街としても地元の企業と連携を図りながら、地域に貢献したいという思いを持っていますので、前向きにご協力をさせていただきました。今回出店しているお店はすべて刈谷市に店舗があります。イベントを通してお店の名前や味を知っていただいて、店舗の方にも足を運んでもらう。そのような循環の中で刈谷市が発展していくのが理想的ですね」と相乗効果に期待を寄せる。

 

出店者である「YELLCAFE」の柘植祥史さんは「昨年のパリオリンピックの時に総合運動公園で行われたパブリックビューイングにも出店させていただいたのですが、スポーツイベントのお客様はアクティブな方が多いなという印象です。試合会場での賑わいが、刈谷市全体の賑わいにつながっていったら嬉しいですね」と話す。

 

 

 

これはスタート。これからも地域のために

 

「アンケートの結果を見ると、『紫がすごくかっこよかった』『紫を着ている選手が新鮮でよかった』という声が大半でした。選手たちも紫のユニフォームを気に入っている様子でした」と村永さんは安堵の表情を見せる。「お客様に楽しんでいただけたことに加え、今回の刈谷シリーズを通じて、刈谷市役所、商店街の皆様をはじめ、刈谷市のたくさんの方たちとつながりを作ることができました。それが一番大きいことです。これがスタート。これからさらにスポーツを通じた刈谷市の活性化に貢献していきたいと考えています」。

 

門山TDも「これは大きな一歩」と語る。「僕が監督をしていた数年前から、ブレイヴキングス刈谷とクインシーズ刈谷が一緒にトレーニングをすればお互いに刺激になることもあるかもしれないですねと話をしていたのですが、コロナがあったりで実現できていませんでした。競技は違えど国内トップリーグで戦う選手なので、今後はもっとお互いに刺激を与えあえる機会を増やせるといいですね」。

 

実は今回、同じ色のユニフォームを着用しただけでなく、中断期間中だったブレイヴキングス刈谷の選手がクインシーズ刈谷の試合を観戦した。「その時にお客さまに刈谷市にまつわるクイズに答えていただくイベントを行ったのですが、3問目で観客席にいたブレイヴキングス刈谷の選手に当てたんですよ」と村永さんは明かす。

 

 

指名されたのはパチコフスキー選手。この時出されたクイズの答えは、冒頭のヒーローインタビューと同じ「カキツバタ」だったのだ。

 

3月29日にも再び「刈谷シリーズ」が行われる。今回はパープルペンライト、刈谷シリーズ限定ハリセンに加えて、先着1000名に紫Tシャツがプレゼントされる。さらに刈谷東高校折り紙部のワークショップや「刈谷城盛上げ隊」によるハーフタイムイベント、キッチンカーには新たな刈谷市のお店が出店予定だ。

 

「ブレイヴキングス刈谷はリーグHの中で最もお客さまのレプリカユニフォームの着用率が高いんです。ありがたいことなのですが、2度目の刈谷シリーズでは観客席を赤ではなく紫に染めたい。選手と同じ紫色のTシャツを身に纏って、一緒に戦っていただけたら嬉しいです」

 

 

取材・文/山田智子

2025/03/13

【FOCUS ON BRAVEKINGS #4】加藤芳規選手インタビュー

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

苦しい時ほど輝く、GK加藤芳規選手が描く理想のセービング

 

9月21日、枇杷島スポーツセンターで行われた2024-25 リーグH レギュラーシーズン第3節のトヨタ紡織九州レッドトルネード佐賀戦。初先発したゴールキーパーの加藤芳規選手は、長袖のユニフォームの袖をまくって自らにスイッチを入れると、パンパンと手をたたいてチームメイトを鼓舞した。

 

加藤選手は最初のシュートストップに成功すると、ガッツポーズをしながら「よっしゃー」と吠えた。その後もシュートを止めるたびに両手を突き上げ、観客席に向かって何度も雄叫びを上げる。この日の加藤選手は29本中15本という驚異の51.7%の阻止率を記録し、チームの勝利に貢献した。

 

「最初に相手のエースのシュートを止めて、それで『今日はいける!』みたいな気持ちができました。あの試合はディフェンスとの連携も良く、相手が自分の思ったところにシュートを打ってきて、何もかもうまくいった。ゾーンに入った感覚でしたね。レットル佐賀戦は毎回結構当たっているので、相手の方に苦手意識があるのかもしれません。相手の方が後手に回っている印象を受けました」と加藤選手は振り返る。

 

松村昌幸ゴールキーパーコーチは、先発起用に応えた加藤選手への賛辞を惜しまなかった。「レットル佐賀のシュートの傾向を見て、加藤の方が合いそうだなと思ってスタートに起用しました。彼もその意図をしっかりと理解してくれて、良いパフォーマンスをしてくれた。チームがそこから勢いに乗ることができました。あの試合はチームにとってもターニングポイントになったと感じています」。

 

 

チームに欠かせないエナジーチャージャー

 

ブレイヴキングス刈谷には、加藤選手に加えて、日本代表の岡本大亮選手、将来有望な平尾克己選手の3人のゴールキーパーが在籍している。試合に登録できるのは2人。選手のコンディションやチームの状況、対戦相手など様々な観点を考慮して起用していると松村コーチは話す。

 

「加藤にはチームにエネルギーをチャージする役割を期待しています。彼を起用するのは、流れが悪い時、ビハインドを背負っている時。岡本を先発で送り出して、劣勢になってきたら加藤でもう一回リチャージしようという意図ですね。また、連戦が続いて少しチームのエネルギーが下がっているような時には、彼のエネルギーが必要なのでスタートに起用したりします」

 

 

加藤選手もその期待を重々理解している。「途中から出場する時は流れが悪い時が多いので、まずは僕が止めないといけない。だから1本目がすごく大事で、どんな形でも絶対に止めて、声を出して、チームの士気を上げていくと決めています」。

 

そう説明する加藤選手の声は、とても小さい。松村コーチによると、「普段と試合中では全くの別人。会社にいる時は『あれ?いたんだ』っていうくらい静かなんですよ。でも試合ではいきなりスイッチが入る。そうした本番の強さは彼の「強み」なのだそう。加藤選手も「普段は静かですね。練習も淡々とやることにしているので、大きな声を出すのは試合だけ。たくさんのファンの方が応援してくださる中でコートに立つと自然とテンションが上がるんです」と苦笑する。

 

「チームの勝利に貢献することが一番のやりがいではありますが、個人的には目立ちたい! キーパーが当たらないと勝てないし、試合が締まらない。『影の立役者になる』というマインドでやっていますが、一方で『目立ってやる』という気持ちを持っていないと攻撃的なキーピングができないので、目立つことをモチベーションにしています」

 

 

「加藤のシャウト」は浦和学院高校時代に作り上げられた

 

ブレイヴキングス刈谷の“名物”であり、大きな武器でもある加藤選手のエネルギー溢れるプレースタイルが確立されたのは高校時代だという。

 

小学生の頃は野球チームに所属し、「将来の夢はプロ野球選手だった」という加藤選手だが、中学では「坊主が嫌だった」という理由でハンドボール部を選んだ。ゴールキーパーになったのは、「始めて1週間でフィールドプレーヤーに向いていないとわかったからです。ラインを踏んじゃうし、ジャンプシュートもできないし、顧問の先生と相談してゴールキーパーになりました」。

ゴールキーパーに転向した当初は「痛いし、怖いし。何が面白いんだろう」と思ったそうだが、「試合をして、シュートを止めて、自分が活躍して、チームが勝つ、それを繰り返しているうちにだんだん面白くなってきました」とゴールキーパーにやりがいを感じるようになった。

 

 

加藤選手が通った吉川市立中央中学校は過去に全国大会に出場したことはあったものの、入部当時の部員は同学年の8人のみ。加藤選手を含めて、中学からハンドボールを始めたメンバーばかりだった。それでも、国士舘大学の豊田賢治監督(元日本代表、元大崎電気オーソル)を育てた名将のもとで、土日は埼玉、栃木、群馬の高校と練習試合、試合のない時は9時から16時までノンストップで練習をする中で鍛え上げられ、急成長。3年生の時には春夏の全国中学校ハンドボール大会で2冠に輝き、加藤選手自身も夏の大会の大会優秀選手に選出されるまでになった。

 

中学卒業後は、日本代表選手を多く輩出している名門・浦和学院高校へ進学。厳しい競争の中で充実した練習を重ねた。

 

「高校2年生の時に、顧問の先生から『静かすぎる。自分からエネルギーを出せ』と言われて、どうしたらいいだろうと考えていました。ちょうどその頃、北京オリンピックアジア予選の再戦が日本で行われて、日本代表GKの四方篤さんがシュートを止めた時にガッツポーズをしてチームを鼓舞する姿を目にして、自分もやってみようかなと始めました」

 

自分を変えて、もっと成長したい。強い信念と努力が実り、加藤選手は各年代の日本代表にも選出されるなど頭角を表していく。

 

 

爆発力と安定感を兼ね備えたゴールキーパーへ

 

加藤選手は筑波大学を経て、2015年にブレイヴキングス刈谷に入団。ゴールキーパー陣の中では最年長になり、中堅と言われる年齢に差し掛かった今も、さらなるアップデートに挑んでいる。

 

松村コーチは、加藤選手の元来の魅力は「野生味」だと評する。「おそらく相手のシューターからすると、予想外の動きをしたりする。そこはセンスというか、教えられない部分。彼のそうした野生味に魅力を感じています」。

 

加藤選手も「1本止めると、野生の勘が働き出して、『こっちに打ってくるんだろうな』という読みが当たるんです。勘が当たっているのか、それとも打たせたい方向に誘導するように自分が先に位置取りをしているのかは、自分自身でもわかっていないんですけどね」と自身の「野生味」を武器だと認識しながらも、ゴールキーパーとして理想とするのは「安定感」だと強調する。

 

「これまでは流れを変えるための爆発的な働きを求められてきました。でもそれは、見方を変えると少しギャンブル的な側面もあったと思うんです。だから今は『安定したセービングがあった上での爆発力』を目指していますし、ここ数年はセオリー通りのゴールキーピングがでてきている手応えもあります」

 

安定したセービングのためには、「とにかく迷いをなくすことが重要だ」と加藤選手は続ける。「迷いがあると一瞬動きが遅れてしまう。『今、迷ったな』というのは自分でもわかるので、そこをなくしていきたい。試合の前に『どこに打たせたいか』とプランをしっかりと立てて、試合では練習通りに、自分を信じてプレーすることが必要だと考えています」。

 

エナジーと野生味溢れるプレーでチームが苦しい時にこそ真価を発揮する加藤選手。リーグ後半戦に向けて、彼の力が必要になる場面はより増えてくるだろう。

 

 

「僕のネームタオルを掲げてくださる方、メッセージをくださる方、最近はゴールキーパーのファンも増えてきていて、ゴールキーパーというポジションの魅力が伝わってきているのかなととても嬉しいです。もっとゴールキーパーの魅力を多くの人に伝えていきたいですし、そのためにも、これからもどんどん叫んで、目立って、リーグH 優勝のために自分の持ち味を最大限に活かしていきます」

 

加藤選手は静かに、しかし力強く語った。

 

 

取材・文/山田智子

2025/02/05

【FOCUS ON BRAVEKINGS #3】高智海吏選手インタビュー

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

キレのあるカットイン、身体を張ったディフェンス。コート上で戦う高智海吏選手を見ていると、彼が40歳であることを忘れてしまう。ベテランの域に達してもなお、トップレベルのパフォーマンスを維持し、チームに貢献し続ける。その原動力とはーー。

 

苦しい時期を支えた、「ハンドボールは遊び」という原体験

 

―SNSでファンの方が「50歳までプレーしてほしい」と書いていましたが、高智選手なら可能なのではと思うような、年齢を感じさせないプレーに驚かされます。

 

高智:よく言われます(笑)。

 

―長くトップレベルのパフォーマンスを保ち続けられる理由は何でしょうか。

 

高智:ハンドボールを遊びで始めたというところが大きいかもしれませんね。

日本代表としてもプレーさせてもらいましたが、重圧を感じることもありましたし、スケジュールも過密になるので体力的にしんどい時もありました。そういう苦しい時には、始めたばかりの、上手くなりたくて努力していた頃の自分を思い出すんです。

「好きなことを続けて、それを仕事にさせてもらえて、しかも世界のトップレベルの選手たちと戦える。こんな幸せことはない」と思えば、自然と高いテンションを維持できる。そうやって何度も乗り越えてきました。

 

 

―ハンドボールは高校2年生から始められたんですよね。トップ選手の中では比較的遅いスタートですが、それまでは何かスポーツをされていたのですか。

 

高智:小学校3年生からずっとバスケットボールをしていました。でも高校2年生の時にバスケ部を続けるかどうか悩む時期があって。その時に同じ体育館で練習をしていたハンドボール部の田中宏明先生から「一度遊びでハンドボールをやってみないか」と声をかけられたんです。試しにハンドボールをやってみたら面白いし、子どもの頃はドッジボールが得意で肩が強かった。左利きで、身長も高かったので、「結構できるな」という実感があって、ハンドボール部に転部しました。

 

―ハンドボールのどんなところに面白さを感じたのでしょう?

 

高智:ハンドボールとバスケットボールは似た動きが多いのですが、バスケでは3歩以上歩くとトラベリングになるので、3歩まで歩けるハンドの方が1歩多く歩けます。

バスケでも1対1で抜くプレーが好きだったし、さらに1歩多く歩けるとプレーの自由度が上がります。逆に2歩目でシュートを打つとタイミングが狂うので、相手としてはやりにくかったみたいですね。チームもインターハイに出場するような県内では強豪だったので、全国レベルで戦えることも楽しかったです。

 

―高校卒業後は、強豪・大阪体育大学に進学します。

 

高智:ハンドボールは楽しかったんですけど、始めたのが遅く、高校の頃は運動能力だけでやっているところがあったので、上のカテゴリーで続けられるとは考えてもいませんでした。僕は子どもが好きなので、保育士になるために保育科のある短大への進学を検討していました。

でも、3年生の時に中国地方のナショナル・トレーニング・システム (NTS)※ に参加した時に、フィジカルテストでトップを取って。「誰だ、この選手は? ハンドを始めて1年も経っていないらしいぞ」と注目されて、全国のNTSにも呼んでいただきました。そこでもフィジカルテストで1位か2位に食い込んだんです。

それで後日、田中先生に教官室に呼ばれて、「大学でもハンド続けてみないか? 教える仕事に興味があるのであれば、体育大学で教員の免許を取ることもできるから」と勧められて、大学進学を決めました。

※ナショナル・トレーニング・システム (NTS)  :優秀なアスリートの発掘・育成・強化活動を実施すると共 に、指導の一貫性を図ることによる指導者の育成、さらには各地区の地域に新 しいハンドボール情報を伝達していくシステム

 

―大学の練習はいかがでしたか?

 

高智:厳しかったです! 伝統のある大学だったので、周りは小学校からハンドボールをやっているような有名選手ばかり。その中で、ハンドボールが身体に染みついていない僕は、全く通用しませんでした。それが悔しくて、悔しくて……。

 

―その壁をどのように乗り越えたのですか?

 

高智:他の選手の動きを見て、真似をする。それをとにかく反復しました。チーム練習の後、一人で体育館に残ってスキルを向上させるためにひたすら練習をしましたね。高校時代に自信を持っていた身体能力に関しても、上には上がたくさんいることもわかったので、筋トレや走り込みもしました。1年生の終わり頃から少しずつ試合に出られるようになって、3年生からは先発で出場するようになりました。

 

 

―実業団でもハンドボールを続けようと考えたのはいつ頃ですか。

 

高智:当初は教員を目指そうと考えていたので、教育実習にもいきましたし、「大学でやり切るぞ!」という気持ちでした。でも複数のチームからお声がけをいただいて、当時の監督の宍倉保雄先生とも相談してトヨタ車体ブレイヴキングスに入団することに決めました。「もっと上を、もっと先を目指して頑張れるんだ」と視野がパッと広がって、すごくモチベーションが上がった時期でしたね。

 

―ブレイヴキングスに加入して2年目で日本代表に選出されます。

 

高智:始めた時には全く想像していなかった世界ですね。初めての代表戦は、北京オリンピックの世界最終予選で。世界トップレベルの選手はプレーの一つひとつのクオリティ、パワー、高さ、全ての基準がずば抜けて高いなと感じました。でも、その中でも自分のフェイントや、得意としているカットインが通用すると感じることができましたし、そこに磨きをかけて可能性を伸ばしていきたいと意欲が湧きました。

 

―それから10年間にわたって日本代表として活躍されました。

 

高智:いろいろなヘッドコーチ(HC)のもとで貴重な経験をさせていただきました。2018年のジャカルタアジア大会で代表活動に一区切りをつけさせてもらいましたが、それまではタイトなスケジュールの中で、ハードに自分を追い込んできたので、ようやく肩の荷が下りたという感覚でしたね。

一方で、日本代表はモチベーションの一つになっていましたし、年齢的にも30代になっていたので、その後のキャリアをどうしていくのか考えるようになりました。今振り返ると、その頃は自分のパフォーマンスが少し落ちていたように感じます。

 

 

「若い選手には絶対に負けたくない!」 40歳でキャリアハイ更新中!!

 

―今シーズンは非常に高いパフォーマンスを維持しているように感じます。少し落ち込んだ時期から、どのように自分の気持ちを立て直したのでしょうか。

 

高智:昨シーズン、ラース・ウェルダーHCが就任して、起用法が変わったことが大きかったですね。僕は主にバックプレーヤーとしてプレーしてきたのですが、30代後半になってから数年かけてサイドプレーヤーに転向してきました。でも、ラースHCから「バックプレーヤーをやってほしい」と求められて、再び心に火がつきました。

バックプレーヤーはフィジカルコンタクトが激しいポジションなので、また身体を作り直しました。そうしたら、試合の出場時間も増えましたし、パフォーマンスも上がってきています。

 

 

―フィジカルテストの数字は、40歳のいまもチームトップレベルだそうですね。

 

高智:そうなんですよ。でも、努力をし続ければ、多分誰でもできるんですよ

 

―いやいやいやいや。誰にでもできることではないと思います。

 

高智:自分もそうだったんですけど、おそらく年齢を言い訳にして自分自身にブレーキをかけているところがあると思うんですね。1つずつ、1日ずつ、限界を超えていく努力を積み重ねることで維持できます。実際にここ数年間、毎日限界を超える努力を続けてきたことで、キャリアハイの数値を出すことができています。

 

―キャリアハイですか!?

 

高智:バイクを漕いで、6秒間でどれくらいのパワーを出せるかという瞬発的な動作を鍛えるトレーニングがあるんですけど、その数値で先週キャリアハイを出しました。僕はスクワットがあまり得意ではなかったんですけど、フォームを改善したりして努力を重ねることによって、いま一番重量が伸びていますね。

有望な後輩がどんどん入ってきた中でも、まだまだ負けたくないという気持ちが強いんです。僕が若手の立場だったら、「ベテラン選手を打ち負かして、早くポジションを奪ってやる」と考えるだろうし、それくらいの気持ちがなければ勝ち残ってはいけません。

練習していると、若手が挑んできているなと感じることがあって、それは嬉しいことでもある反面、僕としては絶対に負けたくない。フィジカルテストでトップクラスにいれば、客観的な数字としても負けていないことを示せますよね。若手の前に壁としてしっかりと立ちはだかって、切磋琢磨しながら互いにレベルアップできればと考えています。

 

 

―今のお話を聞いていると、ファンの方がおっしゃるように「50歳まで現役」もあながち不可能ではない気がしてきますね。

 

高智:さすがに50歳までは想像できませんが(笑)、チームの力になれる限りにおいては、できるだけ長くトップレベルでやりたいという気持ちはあります。この先の人生を胸を張って生きられるように、限界までハンドボールを続けたいです。

 

 

―日々の努力のほかに、長く競技を続ける秘訣はありますか?

 

高智:オフコートで、しっかりとリラックスすることでしょうか。僕はキャンプが趣味なのですが、むしろ身体がきつい時ほど行きますね。時間がなくても、朝3時に行ったりとか(笑)。「病は気から」という言葉があるように、キャンプに行って、気持ちをリフレッシュできると、次の週は不思議と身体が動くんですよ。DIYも好きなので、主に材料に木材を使うんですけど、木と向き合っていると心が落ち着くし、集中力が高まる。ある種の瞑想のような感じです。だから僕にとって趣味はハンドボールを続ける上で不可欠なものですね。

 

 

―2月からリーグHの後半戦がスタートします。初代王者になるために、どんなことが大事になっていくでしょうか。

 

高智:それぞれの選手が自分の武器をしっかりと認識して、それを試合でフルに発揮できるようにオーガナイズすることが大事になってくると思います。すごく難しいことですけど、それを全員ができれば、チームとして100%以上の実力が出せます。1月の日本選手権は決勝で敗れはしましたが、攻守においてそれを表現できた時間が多かったと感じています。

ファンの皆様の熱い応援もすごく力になっています。リーグHの優勝に向けて、これからも一緒に戦っていきたいです。僕も前半戦のパフォーマンスを継続できるように最大限の努力をしていきます。

 

取材・文/山田智子

2025/01/22

【FOCUS ON BRAVEKINGS #2】座談会 日本選手権の振り返り、悔しさをばねにリーグH後半戦へ

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

 

 

12月に行われた日本選手権。9年振り3度目の優勝を目指して臨んだブレイヴキングス刈谷でしたが、またしても決勝で豊田合成ブルーファルコン名古屋に1点差で惜敗、準優勝に終わりました。座談会の第2部では、日本選手権の舞台裏や、この悔しさを糧にどのようにリーグH後半戦へ挑むかなどを、岡本大亮選手、髙野 颯太選手、櫻井睦哉選手、渡部仁選手に聞きました。

 

ディフェンスは後半戦に向けて大きな自信に

 

 

12月の日本選手権大会は、残念ながら準優勝という結果でした。

 

渡部:初戦の日本体育大学戦は39-26と点差は開きましたが、試合終盤は良くない時間帯がありました。ラースヘッドコーチ(HC)からもその点を指摘されたので、2試合目のゴールデンウルヴス福岡戦でしっかりと立て直し、3試合目は1週間前に行われたリーグ戦で引き分けたジークスター東京に接戦で勝つことができて、いい流れで決勝を迎えることができました。

 

髙野:(渡部)仁さんが言った通り、決勝までの流れがすごく良くて、決勝でも順調な入りができました。そのままの勢いでいけるかなと思っていたのですが、後半失速してしまいました。自分自身もレッドカードをもらって しまい、チームに迷惑をかけてしまいました。

 

櫻井:決勝の後半の立ち上がりに相手が修正してきたのですが、それに自分たちが対応できず。徐々に点差を詰められて、延長で負けてしまいました。パリオリンピックでも同じような逆転負け、1点差負けの試合を経験しましたが、あらためて後半の立ち上がりの大切さを痛感させられました。

 

 

岡本:ただ、大会全体を振り返ると、失点がかなり少なかった。そういう意味ではディフェンスが機能したという手応えを感じられた大会でした。僕たちゴールキーパーとしても取りやすいシュートが多かったですね。決勝では、後半は攻めあぐねて、逆速攻を食らって失点してしまったところがありましたが、それ以外のディフェンスは非常に良かったと思います。

 

 

渡部:決勝は26失点なので、ゴールキーパーを含めたディフェンスはすごく機能していましたね。一方で攻撃は25点と全然点が取れなかった。具体的に何分ごろというのは覚えていないのですが、後半急に攻撃がしづらくなった感じがありました。シュートを打ちに行ったというか、打たされているような感覚。そうして攻撃が手詰まりになったことがターニングポイントだったと思います。

 

―攻撃が機能しなくなった原因はどこにあったと思われますか。

 

渡部:相手のゴールキーパーが、中村匠選手から普段はあまり出ていない宮城風太選手に替わって、セーブ率が53.1%と驚異的な数字でシュートを止められたのが攻めあぐねた一因です。 宮城選手は素晴らしいパフォーマンスでしたが、それ以前に、確率の高いところでシュートを打てていない、相手のディフェンスを突破してシュートを打てていなかったというのも問題でした。僕がライトバック、櫻井がライトウィングという形で一緒に出ることが多いんですけど、サイドシュートを打つシチュエーションを作れなかったのが個人的な反省点です。

 

 

―攻撃の停滞をどのようにコート上で解決しようとしたのですか。

 

渡部:コート上はそれほどネガティブな雰囲気ではなく、準備してきた作戦があるので、それを実行しようとしていました。でも「あれをやってみよう」「次はこれをやってみよう」といろいろと試してみたのですが、ことごとくうまくいかない悪循環に陥っていました。それでもディフェンスとゴールキーパー 陣の踏ん張りで接戦に持ち込むことができました。

 

髙野:オフェンスがうまくいかない状況でディフェンスまで崩れたら完全に流れを持って行かれてしまうので、ぎりぎり耐えていたという感じです。

豊田合成のオフェンスは比較的狙いが分かりやすかったんですよね。シュート力のあるバラスケス選手が最終的に打つことが多い。相手の最大の強みを、前半から櫻井(睦哉)や山田信也さんが身体を張って止めてくれていて、かなりストレスを掛けられていました。おそらくバラスケス選手はやりにくかったと思うし、後半彼を下げたのはそういうことだと思います。

ただ今回の決勝に関しては、スピードのある日本人選手にかき回されて、そこを止められずにレッドカードをもらってしまいました。次に対戦する時には、その部分をしっかり対策すれば、もっと違う展開に持っていけるんじゃないかと感じています。

 

準決勝のジークスター東京戦は「チームとしてゾーンに入っていた」

 

―みなさんのお話を聞くと、昨シーズンの「1点差」よりも手応えを感じる「1点差」だったということですね。今大会のベストシーンを挙げるとしたら、どの場面が思い浮かびますか。

 

渡部:シーンではないのですが、準決勝の前半で(髙野)颯太が膝を怪我して、後半も出られないくらいの大きな怪我だったんですけど、翌日に決勝を控えた時間がない中で、出場できるようにケアしてくれたスタッフ、その状態でも試合に出場して活躍した颯太の心意気や決勝にかける気持ちの強さがとても頼もしかったです。その心意気に報いるような結果を出せるよう、僕も活躍したいと思いました。

 

髙野:もっといい状態で決勝に臨めていたらと、すごく悔しいですね。準決勝の前半で怪我をして、後半はもしかしたら出られるかもしれないとハーフタイムに動いてみたのですけど、全く動けなくて。「僕は何をしているんだろう」と悔しくて泣いてしまいました。でも「仲間を信じるしかない」と後半が始まった時に切り替えて、ベンチからすごく声を出しました。みんながそれに応えて勝ってくれて、本当に感動しましたし、チームスポーツっていいなとあらためて思いました。

その時点は決勝に出られるかどうかわからなかったのですが、「何がなんでも出たい」とメディカルスタッフに直訴して。決勝当日も「少しでも出て、チームの助けになれるんだったら」と痛み止めを結構飲んで出たのですが、まさかあんなに長く出場する とは想定外でしたね(笑)。アドレナリンが出ていたので案外動けたのですが、結局はレッドカードをもらってしまって、不完全燃焼な終わり方になってしまいました。

 

 

渡部:準決勝は、颯太の怪我に加えて、同じポジションの岡元(竜生)が前半に退場になってしまって。ベンチ入りした16人中2人が出られない状況で、藤本さんがポストをしたり、アイク(富永聖也)がディフェンスで複数ポジションで身体を張ったり、本来のポジションじゃないところをこなしてくれた選手たちがいました。あの試合は、僕がブレイヴキングスに入ってからの10年間で一番の総力戦でしたね。本当にチームスポーツの醍醐味というか、チームワークや総合力が発揮された試合でした。

 

 

櫻井:準決勝の相手、ジークスター東京とは、11月30日リーグ戦ではフルメンバーで対戦して27-27の引き分けだったので、前半で2人欠けた時にはすごくプレッシャーを感じましたし、かなり厳しい状況になったと思いました。

 

渡部:あの時はみんな「熱く狂っていた」というか、チームとしてゾーンに入っている感覚でした。

 

 

―チーム内大会MVPを選ぶとしたら、どの選手になりますか。

 

髙野・櫻井:キーパー陣です。

 

岡本:ディフェンス陣。

 

渡部:僕はディフェンスだったら颯太か睦哉。颯太もジークスター東京戦であれだけの怪我をしたにもかかわらず、豊田合成戦に頑張って出てくれていたし、睦哉はバラスケス選手をあれだけ思い通りにさせなかったのはすごいと思う。この2人のどちらか、いや、どちらもMVPだと思います。

ゴールキーパー 陣を含めたディフェンスを殿堂入りと考えて、それ以外で挙げるとすると、僕は吉野(樹)かなと思います。苦しい時間に点を取る、さすがエースという活躍でした。僕はその対角のポジションを担っていたんですけど、すごく助けられた時間帯、試合がありました。吉野の負担を減らせるようにもっと頑張らないと、と感じた大会でした。

 

 

「優勝しか見ていない」

 

―2月からリーグH後半戦が始まります。リーグH初代王者になるためには、何が鍵になりそうですか。

 

渡部:キーパーじゃないですか。うちのキーパー陣は毎試合セーブ率がすごくいいんですけど、出場時間をベンチ入りの2人で半々くらいで分け合っているので、(規定のシュート数に達しないため)リーグのランキングに載らないんですよ。僕としては、すごく止めているのに個人賞がとれなくてかわいそうだなと思っていて。もちろんディフェンスが機能しないと阻止率も上がらないので、日本選手権で見せたアグレッシブなディフェンスを発揮して、キーパーを含めたディフェンス陣でタイトルを総なめにしてほしいです。本人がどう思っているかはわからないですけど……。

 

岡本:僕は、チームが勝つことだが第一だと思うので、セーブ率の個人タイトルは獲れなくてもいいと思っています。

リーグの前半戦でジークスター東京に引き分けて、豊田合成には敗れているので、前半戦と全日本選手権での悔しさを後半戦にぶつけて、ここから全勝したいです。

 

 

髙野:個人的には昨シーズンベストディフェンダー賞を受賞させてもらったので、今シーズンも獲れたらいいなと思っていますけど、ディフェンスが良すぎると、キーパーにボールが飛んでいかないので、ますます阻止率のランキングに入りにくくなる。その点はキーパー陣には申し訳ないところですが、僕はディフェンスを頑張ります。

僕はブレイヴキングスに入ってから、まだプレーオフで優勝したことがないので、今シーズンこそプレーオフの優勝を味わってみたい。万年2位で「シルバーコレクター」と言われてきましたが、これからは「ゴールドコレクター」になりたい。優勝しか見ていないです。

 

櫻井:僕もディフェンスをもっと頑張ります。ラースHCからは1試合通して常に高いクオリティーを求められているのですが、日本選手権の決勝でも少しクオリティーが下がる場面がありました。優勝するためにはいかにクオリティーの高い時間を増やせるかが鍵になると思うので、常に高いパフォーマンスが維持できるようにエネルギーを注いで、優勝を勝ち取りたいです。

 

 取材・文/山田智子

2025/01/06

【FOCUS ON BRAVEKINGS #1】座談会 パリ五輪を終えて

いつもブレイヴキングス刈谷へご声援いただき、誠にありがとうございす。

ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。

昨シーズン好評の中で旅を終えた「BACKYARD BRAVEKINGS」をさらにパワーアップさせ、「FOCUS ON BRAVEKINGS」として、ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」にフォーカスする、新たな旅路に出たいと思います。

第一回では今夏パリオリンピックに出場し、熱戦を繰り広げた4選手から、話を伺いました。

 

 

今夏のパリオリンピックには、ブレイヴキングス刈谷から6名の選手が出場しました。

今回はその中から岡本大亮選手、髙野颯太 選手、櫻井睦哉選手、渡部仁選手による座談会を開催。36年ぶりに自力で出場を勝ち取った世界的祭典でのエピソードや、そこで得た経験をどのように生かしていきたいかなど、話を伺いました。

 

5連敗と悔しい結果も、日本は世界と戦える手応えを得た

 

―岡本選手、髙野選手、櫻井選手は今回が初めてのオリンピック出場でした。あらためて振り返って、パリオリンピックはいかがでしたか。

 

櫻井:自分にとって、今回のオリンピックは日本代表としての初めての公式国際大会だったので、緊張もしましたし、初めてのことばかりで不安もたくさんありました。

試合に関しては、(カルロス・)オルテガヘッドコーチ(HC)の戦術が分かりやすかったので、思い切りプレーをすることができました。試合が始まる直前まで緊張していたのですが、始まってからは集中して、自分の持っているものを出し切ることができました。

 

髙野:僕は櫻井選手と違って、めちゃくちゃ緊張していて。初戦は「どうしよう、どうしよう」と結構手が震えていましたね。でも試合を重ねるごとに、日本も世界の強豪と渡り合えるという手応えが自信になって、最後は緊張せずにリラックスして試合に臨めました。

今回のオリンピックを通して、自分の持ち味であるディフェンスの能力は、世界の強い選手とも競い合えると感じられたのが一番の収穫です。自分よりももっともっとディフェンスが上手い選手もいたので、これから彼らを研究して、さらにうまく守れるようにディフェンス力を磨いていきたいと思いました。

 

岡本:予選敗退という結果については残念でしたが、すごく楽しかったです。今回のオリンピックはハンドボール人気の高いヨーロッパでの開催だったので、お客さんがすごくたくさん入っていて、良いプレーをしたら観客が盛り上がってくれるので、気持ちが上がりました。そのおかげで良いプレーができましたね。

 

 

―渡部選手は東京に続き2度目の出場となりました。

 

渡部:東京オリンピックは無観客開催だったので、正直なところオリンピックという実感があまりありませんでした。パリオリンピックに出て、国の違いを超えて大勢の観客が盛り上がっている姿を見て、ようやく自分が子どもの頃にテレビで見ていたオリンピックに出場したという実感を得ることができました。結果については、みんなも言っている通り残念でしたが、今の自分に出せる力を全て出し切ったので、総じて楽しいオリンピックでしたね。

 

―東京とパリを比べて、日本のハンドボールの成長を感じることはできましたか。

 

渡部:2大会連続で11位という結果でしたが、東京オリンピックでは1勝しているので、成績だけを見れば成長できていないと思う方もいるかもしれません。ですが、HCがオリンピックの3ヶ月前に突然変わり、戦術も大きく変わった中で、これだけの戦いができたということは、日本人選手のポテンシャルや能力が上がった証拠だと思います。ステップバイステップで日本が強くなってきたことを実感できましたし、このまま成長すれば、次のロサンゼルスオリンピックでは、東京、パリで果たせなかったグループリーグ突破ができると信じています。

 

 

―今お話に出ましたが、オリンピックまで半年を切ったタイミングでダグル・シグルドソンHCが突然辞任。オルテガ新HCが6月に日本代表に合流して、実質2ヶ月間しか準備期間がない中でチームを作り上げるのは並大抵ではなかったと想像します。またオリンピックの出場権を36年ぶりに自力で掴み取ったこと自体が、ハンドボール界にとっては大きな財産ですね。

 

渡部:これまでは、取材で目標を聞かれると、口では「オリンピックを目指します」と言ってきましたが、正直リップサービスというか、言わされている感覚がありました。

でも、今回自力で出場権を勝ち取って、もうオリンピックは夢物語ではない、手が届く目標になったと感じています。ちゃんと胸を張って「オリンピックを目指します」と言えることがハンドボール競技の地位が上がった証だと思います。

 

髙野:僕がハンドボールを始めてからずっと、ハンドボール日本代表がオリンピックに出場することがなかったので、正直オリンピックを目指そうという考え自体がなかったんですよね。僕自身も東京オリンピックの事前合宿に呼ばれて初めて、オリンピックを意識するようになりました。

 

―ハンドボールをしている子どもや若い選手にとって、オリンピックがリアルな目標になったということは歴史的な一歩といえると思います。オリンピックに出場して何か反響はありましたか?

 

櫻井:実家の近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちから「息子さん、オリンピックに出ていたね」「すごいね」と声をかけられたり電話をもらったと家族から連絡をもらいました。なんで知っているんだろうとびっくりですよね。テレビや新聞で知ったようなのですが、やはりオリンピックの影響力は大きいなと感じました。

 

岡本:僕は山口県岩国市の出身で、もう一人、徳田新之介選手も同じ市の出身なのですが、市をあげて応援に力を入れてくれて、ドイツ戦はパブリックビューイングをしてくださったみたいです。オリンピックの後に地元に帰った時も、TVの取材を受けるなどすごく反響がありました。

 

 

1点差で惜敗した初戦が全てだった

 

―パリオリンピックでは5試合戦いました。どの試合が最も印象に残っていますか?

 

髙野:僕は1試合目のクロアチア戦です。地上波で放送される予定だったBMXが雨で中止になって、急遽ハンドボールが放送されることになったんですね。

対戦相手のクロアチアのHCが、長年お世話になった日本代表のダグル前HCだという運命のいたずらもあって、「何がなんでも勝つぞ」という気持ちで臨みました。今までやってきたハンドボールが発揮できて5点リードで前半を終えて、「これはいけるぞ」と後半に入ったのですが、徐々に徐々に追いつかれて、残り1秒で逆転されてしまい、本当に悔しいです。

 

櫻井:「たられば」になりますけど、同じ球技のバレーとバスケがその日の試合で負けていたので、もし地上波で放送されたあの試合で勝っていれば、ハンドボールの歴史が変わっていたんじゃないかと悔やまれます。1点の重みを痛感したというか、ショックが大きかったです。

 

渡部:今振り返っても、もし初戦を勝っていたら、その勢いでグループリーグを突破できていたのかなと思います。本当に初戦が全てだったなと。

実は、ダグル前HCとは、試合の前々日に食堂で会ったんですよ。勝って成長した姿を見せることが前HCに対する恩返しだとも考えていたので、そういう意味でも勝ちたかったですね。

 

岡本:僕もクロアチア戦が印象に残っています。最終的には逆転負けをして、残りの4試合も勝つことができませんでしたが、オリンピックに向けて、アントニ・パレツキGKコーチのもとでずっと取り組んできたことが、世界の舞台でも通用すると感じることができた試合でした。

 

―岡本選手はクロアチア戦のセーブ率が36%と好セーブが光りました。外国人GKコーチのもとでどのような取り組みをしてきたのですか?

 

岡本:国際試合では、日本のリーグよりシュートのスピードが速くなる。だから、ゴール全体を目で見て、反射神経だけで止めることは難しいんですよ。そのため、フォームやデータが重要になります。相手選手のシュートの傾向から予測をして、ある程度絞って、そこを集中して止めるのですが、予測と判断がうまくいきました。

 

髙野:ディフェンスの戦術としては、2枚目がアグレッシブに前に出て相手の攻撃を止めるチームルールだったのですが、それがうまくハマって、相手にボールをうまく回させないディフェンスができました。キーパー 陣も結構止めてくれて、ディフェンス全体としてうまくいった試合でしたね。

 

櫻井:仁さんが2枚目のスタート、次の交代で僕が2枚目を担当しました。こういう状況の時は前に出て相手のオフェンスを制限する、こういう場合は前に出ないで引いて守るというチームルールをしっかりと整理して挑んだので、頭がクリアな状態でプレーできたことがうまくいった要因の一つかなと思います。手応えがあっただけに、負けた悔しさもそれに比例して大きかったです。

 

 

世界トップレベルの選手から学んだこと

 

―1点。1勝。わずかですが、大きな差。この差を埋めていくために、どんなことが必要だと考えますか。

 

渡部:先日の全日本選手権も1点差で準優勝に終わったので、「1点差」は旬なワードですね……。

代表戦に限らないのですが、やはり後半の最初の10分をいかに前半の良い流れのままで戦えるかという部分が大事になると思います。リードしていると、点差を守らなければという気持ちが出てきて、どうしても攻める姿勢が失われてしまうので。

 

髙野:クロアチア戦のハーフタイムにも、「絶対に追い上げてくるから、5点のリードは忘れて、1点1点集中していこう」と話してはいたのですが、まさかこんなにリードできるとは思っていなかったこともあって、若干メンタルがふわふわしていたところがあったのかもしれません。

 

櫻井:クロアチア戦でいうと、後半の立ち上がりに相手のディフェンスが1人だけラインを上げるような戦術に変わって。対策はしてきたつもりだったのですが、戦術変更に対応しきれずに、ミスから失点するシーンが結構ありました。早い段階で修正できなかったのが敗因の一つだと思いましたし、世界で勝ち切るためには、試合の中での「修正力」が求められてくると思います。

 

 

―パリオリンピックを通じて、「この選手、すごかったな」など刺激や学びを得た選手はいますか。

 

岡本:特定の選手ではないのですが、海外の選手は球が速いことに加えて、球持ちがいい。だから、相手が打つ前に少しでも動いてしまうと、簡単に股下を打たれてしまう。実際に僕が受けたシュートの多くが股下を狙ったものだったので、先に動かず我慢する必要があると学びました。

 

―海外のGKから学んだことはありますか。

 

岡本:ドイツのシューターでワンフェイクをしてキーパーを反応させて決める、ルネ・ダムケという選手がいたんですね。僕は彼のシュートを全く取れなくて、「どうやって止めればいいんだろう」と思っていたんですけど、スウェーデンのアンドレアス・パリカ選手は独自の駆け引きでそれを止めていて。駆け引きの部分を工夫すれば通用するんだと勉強になりました。

 

渡部:僕は、マッチアップはしていないのですが、スペイン代表の同じポジションのアレックス・ドイシェバエフ選手が印象に残りました。ヨーロッパの中では小柄な選手なんですけど、日本戦のラスト10分で個人技から得点を量産して勝利に導く姿を見て感銘を受けました。得点を取ることでチームを引っ張るというライトバックのポジションの役割を果たしている、目指したい選手像だなと思いました。

 

櫻井:僕はノルウェーのクリスティアン・ビョルンセン選手に以前から好きで、シュートフォームがすごく綺麗で憧れていたのですが、オリンピック村に入ったときにたまたまお見かけして、いちファンとして一緒に写真を撮ってもらいました。

 

―素敵なエピソードですね。他にオリンピックで印象に残っていることはありますか。

 

髙野:人生で一番納豆を食べました。

 

―納豆?

 

渡部:納豆ご飯、食べましたね。

 

髙野:僕は選手村の食堂の食事があまり口に合わなくて。日本棟の中にあった、味の素さんが日本食を用意してくれる「JOC G-Road Station」に行って食べるようにしていました。G-Road があって、本当に助かりました。

 

岡本:選手村の食堂は毎回同じものが提供されるので、だんだん飽きてしまうんですよね。だから僕も途中からは、G-Roadに行って、納豆をずっと食べていました。

 

渡部:納豆以外では、開会式でカッパをもらい忘れて、びしょ濡れになったことですかね(笑)。

 

 

国内リーグでも、世界基準を意識しながら成長を続ける

 

―パリオリンピックでの貴重な経験を、どのように今シーズンに活かしていますか。

 

渡部:オリンピックが終わって1ヶ月くらいは、精神的に燃え尽きた感じがありました。練習はあったのですが、気持ちが入っていなくて、ハンドボールから離れる、休むことの重要性を感じました。だから、これまでは週5日ウエイトトレーニングをしていたのですが、今シーズンは週3日に減らしました。

 

岡本:毎日やってたんですか?! 

 

渡部:昨シーズンまでは。

 

岡本:減らしたことによって、何か変わりました?

 

渡部:今まではシーズン中に高熱を出すことが多かったんですけど、今シーズンは体調を崩す回数が減りましたね。コンディショニングがうまくいっています。

 

櫻井:僕は中学3年生の時からハンドボールノートを書いていて、毎日意識すべきこととか疑問に思うことを書き留めています。「今日は全然足が動いていなかったな」「守れていなかったな」という時に振り返って、自分の足りない部分を確認するのを習慣にしています。オリンピック期間中も続けて、それが成長につながったと実感したので、これからも続けていきたいとあらためて思っているところです。たまに仁さんに誤字脱字を指摘されたりしますけど……(笑)。

 

渡部:共有してるんですよ。

 

岡本:僕は先ほども話した通り、オリンピックでデータの重要性を再認識しました。反射神経は日によって調子がいい時と悪い時があるんですけど、データに基づいた「読み」を取り入れることによって、調子の波を抑えることができていると感じています。

 

髙野:僕は、オリンピックを経験して、ディフェンスの当たりの強さをこれまで以上に意識するようになりました。 ただ国内大会で、海外でプレーしていた時のような強度でディフェンスをすると、すぐに退場が出てしまう傾向があるので、その部分に難しさを感じています。先日の日本選手権も久しぶりにレッドカードをもらってしまいました。

 

―ラースHCもよくおっしゃっていますが、日本が世界でさらに上を目指していくためには、コンタクトの基準を世界の基準に合わせていく必要があるかもしれませんね。 

 

今日は、ブレイヴキングス刈谷にとっても、日本のハンドボールにとっても、これからの成長につながるヒントになる、貴重なお話をありがとうございました。

 

取材・文/山田智子

2024/12/26

【BACKYARD BRAVEKINGS#8最終回】トヨタ車体ブレイヴキングス 日本リーグプレーオフを終えて

いつもトヨタ車体ブレイヴキングスへご声援いただきありがとうございます。
トヨタ車体ブレイヴキングスのメンバーがとる行動や想いの背景、裏側、バッググラウンドを、ファンの皆さんに深く知っていただけるよう、インタビューで掘り下げてご紹介します。

 

 

2023-24シーズン日本リーグプレーオフファイナルではハンドボールの魅力が詰まった素晴らしい戦いを見せたものの、優勝にわずかに届かなかったトヨタ車体ブレイヴキングス。プレーオフの激闘の裏側と、選手、チームスタッフ、会社のチーム管理スタッフ、そしてファンの皆さんと共に成長した充実のシーズンを、藤本純季選手、吉野樹選手、岡元竜生選手、髙野颯太選手が振り返った。

 

全員が最後まで戦い続けた、悔しさと充実感の入り混じった敗戦

 

―長いシーズンお疲れ様でした。プレーオフファイナルでは、一進一退の激戦の末、またしても豊田合成ブルーファルコンに1点差で敗れました。試合が終わった瞬間はどんな気持ちが湧いてきましたか。

 

吉野:また1点届かずに負けて悔しい気持ちも当然ありましたが、このシーズンはすごく長く、ずっと休みなく試合をしてきたので、「やっと終わったー」とホッする気持ちの方が大きかったです。

去年は悔しくてめちゃくちゃ泣いたのですが、今年は全部出し切ったので、笑顔で終われました。

 

 

岡元:オリンピック予選があったので、例年は3月くらいに終わっていたリーグが、5月まで続いたので、本当に長かったですね。

 

吉野:アジア大会が2つあったので、10月だけで国際試合が14試合あって、トヨタ車体から6、7人日本代表に選ばれました。日本代表選手もハードでしたけど、チームに残った選手たちも少ない人数で練習するので、おそらく走り込みなど、体力的にきつい練習になったと思います。

 

岡元:人数が少なくなっても、練習時間は全く変わらないので、シンプルに運動量が増えます。キツかったですね。

 

藤本:日本代表のいない間の練習は、本当に頑張ったよね。

 

 

―ファイナルから少し時間が経った今、客観的に試合を振り返って、「1点」の差はどこにあったと分析していますか。

 

吉野:うーん、分からないです。試合を見返したりもしたのですが、別にどこが悪かったというのはなく、全員が全力で戦った結果がこうだったというか……。

あえて言うなら、日頃のトレーニングでどれだけ「日本一」を目指して取り組んできたかという部分で、豊田合成との差がわずかに出たのかなと。考えられるのは本当にそれぐらいで、僕らは全く悪いプレーをしていなかったし、最後まで勝負しにいっていました。

 

 

藤本:何度もリードされた展開で、よく毎回追いついたなと思っています。ゴールキーパーの加藤芳規が7mスローを2回くらい止めて命拾いしたところも含めて、豊田合成に試合の流れを持っていかれそうな場面でも粘って粘ってついていった。後半は本当に何回も「もうダメだ」と思う瞬間がありました。

でも、強いて言うなら、速攻で外したあれじゃない?

 

吉野:俺か(笑)! あの1点か! (髙野)颯太がめっちゃ空いてるのに、自分で打って外してしまった。

 

髙野:信用されてない……(笑)。

 

吉野:後で映像を見返したら、颯太がめちゃくちゃ空いてるのに、あの瞬間は見えていないんだよね。

 

藤本:他にも追いつけた場面が結構あって、そのどこかで逆転できていたら、そのままの勢いで勝てた可能性はあったけど、相手のゴールキーパーが当たっていたね。

 

吉野:いろいろとミスはありましたが、本当に全員が全てを出し尽くした試合でした。

 

 

―プレーオフで印象に残っているプレーはありますか?

 

岡元:(2ndステージ・ジークスター東京戦の前半終了間際の)吉野さんのスーパーロングシュートです!

 

髙野:あれは、すごかった。

 

藤本:入ると思わんかった。

 

岡元:あれ、僕のパスです。キャッチしやすかったでしょ(笑)?

 

吉野:ありがと!

 

 

吉野:残り4秒でタイムアウトを取って、ラース・ウェルダーHC(ヘッドコーチ)からは「僕が(渡部)仁さんとクロスをして仁さんが最後シュートを打つ」という戦術を言われていたのですが、「4秒ではムリだよ」って思って、仁さんに「打っていい?」って聞いたら「いいよ」と言ってくれたので気持ちよく打ち抜きました。

 

藤本:球、めっちゃ速かったよね。軌道もディフェンスを超えたらすっと落ちて。落としたの?

 

吉野:狙い通りです(笑)。真ん中に身長2m級の選手がいたから、ちょっとでもかすって、軌道が変わって入ったらと考えて打ちましたが、願った通りの感じで入りました。

 

藤本:キーパーが届かなくて、バーにあたって入るあたりが憎らしいよね。

 

 

吉野:映えましたね(笑)。

 

岡元:前半3点差で終わるか4点差で終わるかは相手のメンタル的に大きかったよね。

 

吉野:あの時、「勝ったー」って思っちゃったよね。

 

髙野:あとは、櫻井(睦哉)のジークスター東京戦の(シュートを)8分の8で決めたのもすごかったね。

 

岡元:気合が入ってましたね。

 

 

好調の要因はディフェンス。守備の要の髙野がベストディフェンダー賞を獲得。

 

吉野:僕が記憶に残っているのは、ジークスター戦で元木(博紀)さんが速攻で突っ込んだのを颯太が利き手側に入ってチャージを取って、そのまま速攻に転じた場面。あそこで「元木押さえた。勝った!」って思った。

 

藤本:勝った回数多くない(笑)?

 

 

吉野:今シーズンはディフェンスがすごく良くて、好調の要因はそこだったと思っています。

 

岡元:ディフェンスの要がいいからね。

 

藤本:うちからベストディフェンダー賞が出るのは久しぶりだからね。

 

吉野:颯太、ベストディフェンダー賞獲ってから、ちょっと大きくなったよね。

 

髙野:なってない!! でも、やっと獲れました。

 

 

―具体的にディフェンスのどんなところが変わったのですか。

 

岡元:これまでの「身体を止める」から、「ボールを取る」ディフェンスシステムに変えたところが大きかったと思います。それでいきなり社会人選手権で優勝できて、「取りに行く」ことでこんなにも豊田合成の得点を抑えられるんだと、「今シーズン、いけるぞ!」と確信が持てました。さすがに豊田合成はリーグ戦では修正してきましたけど……。ラースHCが去年までの僕たちの試合を見て、ディフェンスを変えた方がいいと考えて、少しシステムを変えただけでこんなに変わるんだと不思議でしたね。

 

吉野:それに加えて、ラースHCは相手選手が9mの点線の中に入ってきたら、汚い言葉ですけど「殺せ」って言うんですよ。あとは相手の利き手側に立つことも徹底されます。

試合でも練習でも、それができていなかったらラースHCに激怒される。その部分の動画を切り抜かれて、みんなの前で注意されるので、それが嫌でみんな必死でディフェンスする。技術というよりは闘うマインドの変化が大きいと思います。

 

 

藤本:守った後に感情を表現する選手が多くなったよね。それも、相手から見るとすごく嫌なことだよね。

 

岡元:特に4月のホームゲームのジークスター東京戦はみんなギラギラしてたよね。約2,000人のファンの人たちに会場を盛り上げていただいたので、出場しているメンバーだけが戦っているのではなく、会場全体でジークスターを倒しにいっている感覚がありました。あの時のディフェンスは本当にすごかったですね。

 

吉野:今年は得点を取った時よりもディフェンスで守った時の方が盛り上がってるよね。

 

髙野:ディフェンスは楽しいです。得点を取るよりフリースローをとる方が僕は嬉しいですね。相手の考えていることを読んで潰せると楽しいし、それが快感でやっています。

 

 

「今年のチームは過去最強」(岡元)

 

―ディフェンスの話なども出ましたが、今シーズンは社会人選手権で優勝し、日本リーグのレギュラーシーズンもずっと1位、2位で推移してきました。ラースHCのもとで大きく成長したシーズンだったと思います。

 

 

岡元:僕は8シーズンが終わったところなのですが、今年が過去最強のチームだったと感じています。これまでは接戦で勝ちきれなかったり、追いつかれると、そのままズルズルと逆転負けしてしまったりすることが多かったのですが、今シーズンは力で突き放す、押し切ることができる。この長いリーグを戦い抜けるくらい、力のあるチームになったと思います。

 

藤本:ケガ人がいた中でも問題ないくらい層が厚くなりました。アイク(富永聖也)が3枚目をやるようになって成長して、颯太、アイク、櫻井など若い世代に引っ張られるようにチーム全体のディフェンスの意識が上がっていきました。加藤芳規とか北詰明未とか活躍したし、成長した選手が多かったシーズンでしたね。

 

 

吉野:今シーズンはポストシュートがすごく増えたよね。

 

岡本:今シーズンはブロックを敷くか、スペースに動くかはポストプレーヤーの判断に任されている。颯太もタイミング見て動いて点を取ったり、ポストプレーヤーが動くことによってできたスペースをサイドが使ったりと、色々な選択肢が生まれるようになりました。プレーオフでもありましたが、得点が欲しい時にアイデア一つで得点が取れるようになったのは大きな変化だと思います。

 

 

ホームで試合をするのが楽しかった

 

―先ほども会場の盛り上がりの話が出ましたが、今シーズンは選手、チームスタッフ、そして会社のチーム管理スタッフが連携し、みんなが同じ想いをもって進化した1年だったと思います。

 

吉野:今シーズンは楽しかったです。豊田合成には負けてしまったんですけど、他のチームには全て勝てましたし、充実した1年でした。

 

藤本:ホーム戦がすごく楽しかったよね。いろいろな会場で試合をするから、ホーム戦の雰囲気の良さが際立つよね。

 

岡元:いろんな人から、「トヨタ車体のホーム戦は演出がすごいね」って言われました。行きたい、行きたいって。いい席を取るために、すごく早い時間から並んでいるって聞きました。

 

 

―開場前から行列ができて、走って入ってくる人も多いです。

 

岡元:僕たちも最初、スパークや炎が出たりするのは知らなかったのでびっくりしました。「いつも通りですけど」みたいな顔をしていましたが、内心ドキドキでしたね。

 

高野:選手の名前入りのタオルも、目立っていいよね。相手は絶対嫌ですよね。赤一色に染められて。

 

藤本:昨シーズンまではプレーオフは特別感があったんだけど、今はホームゲームの方がすごいから、プレーオフも全然緊張しなかったよね。

 

吉野:本当にホーム戦は楽しかった。チームとファンと会社がより一つになったシーズンだったと思いますし、それもあって楽しかったですね。

 

 

「ステップアップしていくイメージしかない」

 

―総合的に「土台」ができた1年だったと思います。さらに来シーズンはパウエル・パチコフスキー選手も加入します。選手目線で、どのようなチームづくりをしていきたいと考えていますか。

 

藤本:この1年だけでも積み上がっている感覚がすごくありますし、ここからステップアップしていくイメージしかないです。引退する選手もいますが、ベースは大きく変わらないし、おそらくラースHCも1年目に全部詰め込んだ訳ではないと思うので、ここから上がっていく未来しか見えないですね。

ラースHCが加わっただけで、マインドがこれだけ変わったので、外国人選手が入ることでどれだけ刺激があるのか楽しみです。

 

岡元:ポストとしては、難しいパスを取った時が一番楽しいので、パウエル選手がどんなパスをくれるんだろうとワクワクしています。

 

吉野:コミュニケーションの面は、少し不安じゃない?

 

藤本:でも、日本語を勉強しているらしいよ。

 

岡元:僕は同級生なので、タメ口でいく予定。

 

 

藤本:でも英語だと、タメ口かどうかも分からなくない? 仁とかはコミュニケーション取れると思うけど、パウエル選手が来て最初の2ヶ月間は日本代表組がいないからね。

でも、とりあえず、いっしょに飯に行けば、なんとかなると思う。

 

吉野:外国人選手のポジティブなマインドは素晴らしいと思っています。豊田合成も戦力という意味だけではなくて、外国人選手が加わって雰囲気が変わった印象があります。プロフェッショナルな選手からいろいろ盗んで、みんながワンランクレベルアップすれば、来シーズンこそ優勝できるんじゃないかと思っています。

 

―今シーズンは試合を重ねるごとにホームゲームではお客様が増えていきました。ファンがチーム、選手を支え、応援していただけることのありがたさを実感したシーズンであったと思います。最後にファンの皆さまへメッセージをお願いします。

 

髙野:今シーズンは皆さんの応援の声が試合を重ねるごとに大きくなっていって、それが僕たちの力になりました。結果で恩返しをしたかったのですが、今シーズンはそれができなかったことが悔しいです。来シーズンこそは優勝して、結果で皆さんに恩返しがしたいと思います。

 

岡元:今シーズンは会場一体で戦っているとすごく感じたシーズンだったので、颯太も言いましたけど、それを来シーズンは必ず結果でお返ししたいです。優勝した時の会場の盛り上がりを想像するだけで気持ちが高まります。その瞬間を皆さんと一緒に味わえたら最高だなと思うので、必ず優勝します。

 

吉野:今回のプレーオフで負けて、たくさんのファンの方が泣いているのを見て、それくらい一緒に戦ってくれているんだと、あらためて心強さを感じました。来シーズンはみんなで喜びを分かちあえるように頑張ります。

 

 

藤本:僕は13シーズン目が終わったんですけど、今年は過去で一番強いチームだったし、応援してくれる方もすごく増えて、本当に一番いいシーズンだったと思います。

この年齢になってこんなに良い環境で日本一を争うことができているのは本当に幸せだなと感じますし、この幸せな時間が長く続けばいいなと思います。

今のこのメンバーはもはや優勝争いをするのは当たり前。一度優勝するだけでなく、ずっと優勝し続けてほしい。

 

吉野:これ、ファンの方に向けたメッセージですよね?

 

藤本:俺は今、お前らに言ってるの!

 

吉野、髙野、岡元:(笑)

 

藤本:だから、ファンの皆さんにはその過程をずっと見守って、応援していただけたら嬉しいです。

 

<編集後記>

スポーツライターに必要な才能は何か。

ここだけの話を聞き出す取材力? 面白い原稿を書く文才? もちろんそれも必須ではありますが、最も大切なのは「その時、その場にいること」だと私は考えています。

そういう意味で、今シーズンのトヨタ車体ブレイヴキングスの旅に伴走できたことはこの上ない幸運でした。

会場を訪れるたびに、チームも会場の雰囲気も劇的に進化していく。そのエキサイティングな過程を、選手・スタッフの声を、言葉として残す。スポーツライター冥利に尽きる大役を任せていただき、ありがとうございました。

来シーズンはいちファンとして観客席で、優勝の喜びを一緒に味わいたいと思っています。

 

取材・文/山田智子

2024/06/07

【BACKYARD BRAVEKINGS#7】門山哲也チームディレクターインタビュー

いつもトヨタ車体ブレイヴキングスへご声援いただきありがとうございます。
トヨタ車体ブレイヴキングスのメンバーがとる行動や想いの背景、裏側、バッググラウンドを、ファンの皆さんに深く知っていただけるよう、インタビューやコラムで掘り下げてご紹介していきます。

 

 

今シーズンからチームディレクターとしてチームを支えている門山哲也さん。選手、アシスタントコーチ、ヘッドコーチの経験を生かし、ラースヘッドコーチと二人三脚で「チームを内側から鍛える」役割を担っています。新たな立場で得た気づきや、今後どのようなチームを作り上げていきたいか、その想いを聞きました。

 

新たな役職で、チームに、ハンドボールに恩返しがしたい

 

―今シーズンより新たにチームディレクター(TD)に就任されました。チームの中でどのような役割を担っているのでしょうか

 

門山:今シーズンは初めて外国人コーチのラース・ウェルダーヘッドコーチ(HC)を迎えました。ラースHCの目指す方向性と、トヨタ車体ブレイヴキングスがこれまで築いてきた歴史などを含めた価値観をつなぎ合わせることが僕の主な役割です。通訳として言葉のつなぎ役をすることもあれば、選手、コーチングスタッフ、会社の間に立って、それぞれの考えを円滑につなぎ合わせることもします。

ラースHC体制が好循環しているのは門山TDの貢献によるところが大きい

 

―門山TDが、選手・アシスタントコーチ・HCとさまざまな経験をしているからこそ担える役割ですね。

 

門山:僕も海外でプレーした経験があるので、言葉が通じない、文化の違いがある国で生活するしんどさは理解できます。そうした状況でも、ラースHCはチームを強くするために全力を注いで戦っています。だから僕も、彼が能力を100%発揮できるよう最大限サポートしたいと考えています。

HCは孤独な仕事です。経験しないと分からない大変さがあります。ですから、ラースHCと食事やウェイトトレーニングを共にして、なるべく長く時間を共有し、彼の考えていることを理解するようにしています。それは自分自身の学びにもなっています。

試合の表情とは別にチームのためには時にGMやマネージャーのような幅広い役割をいとわずこなす

 

―どんなところにやりがいを感じていますか。

 

門山:TDはこれまでチームになかった役職です。前任者がいない分、フレキシブルに、自分に何ができるのかを考えさせてもらえる。僕は人生をかけてハンドボールに取り組んできましたし、ハンドボールに育ててもらったので、恩返しをしたいという思いを強く持っています。このチーム、そしてハンドボールのために、今僕にできることや求められていることを考え、それに挑戦できることに非常にやりがいを感じています。

 

―門山TDから見て、ラースHCはどんなコーチですか。

 

門山:彼が最も大事にしていることは、どんなことがあっても互いにリスペクトし合うことです。選手はそれぞれいろいろな考えを持っていますが、互いに尊重し、全員が優勝したいという思いを持って努力し続けることが大事だと、ラースHCはいつも話しています。

ラースHCは非常に負けず嫌いで、選手以上に勝ちたい気持ちが強い。「今シーズンは絶対に勝つ」「負けてオフを迎えるなんてごめんだ」と毎日口にしています。

また、日本人選手はポテンシャルがあって、まだまだ伸び代がある。「こんなレベルで満足してはいけない」「もっとできる」とも言い続けています。彼自身もコーチとしての向上心が高く、「次はこんなことをやってみたい」とアイデアが尽きない。ハンドボールのことを考えるのが楽しくて仕方がないようで、夜の10時頃に、「テツ、今、前節の試合の映像を見ていて、こんなことを試してみたいと思ったのだけど、どう思う?」と電話してきます。もし僕がその映像を見ていなかったら怒られます(笑)。

そういう厳しい面もありますが、「勝ちたい」「選手を成長させたい」「いいチームにしたい」という思いが滲み出ているので、選手もスタッフも信頼してついて行きたいと思えるのではないでしょうか。

リーグ屈指のバックプレーヤー渡部でも門山の存在は特別だ

 

ブレイヴキングスの価値は「強さ」「成長環境」「熱狂」

 

―ラースHCの招聘に続き、2024-25シーズンにはポーランド代表のパウエル・パチコフスキー選手の加入が発表されました。次々と新しいことにチャレンジする理由を聞かせてください。

 

門山:人が成長し続けるためには刺激が必要です。組織も同じで、変化をしないことは停滞だと、僕は考えています。ですから、外国人に限らず、社外から人を迎えるということは、チームを良くしていくために欠かせないことだと思っています。

僕も、僕の前のHCの香川(将之)さんも、選手時代からトヨタ車体にいるので、このチームのことはよく分かっています。だから結束力は高かったと思うのですが、与えられる刺激は少なかった。ラースHCが来て、チームにとてもいい風が吹いています。一人でこれほど空気が変わるのだと、強く実感しているところです。

TDになって、あらためて「このチームに求められていること」「このチームが提供できる価値」を考え直し、ブレイヴキングスの目指す果たすべきビジョンを作り上げました。現場として、フロントとして、会社として何をすべきなのか、このチームに関わる全員が共通理解を持つべきだと考えたからです。そのビジョンに基づいて、新しい取り組みを行なっているところです。

 

―「ビジョン」について詳しく聞かせてください。

 

門山:このチームの大きな価値の一つは「強い」ということです。常に優勝争いをできる位置にいるチームだということ。今年、来年、優勝するということだけではなく、5年後も10年後も勝ち続けるチームであること。ラースHCも「大事なことは自分がいなくなっても勝てるチームを作ることだ」とよく話しています。

2つ目が、「選手が成長し続けられる環境を提供できる」こと。トヨタ車体ブレイヴキングスには日本代表選手が多く所属しています。だから自分たちが勝つことだけを考えていればいいわけではありません。このチームから世界を目指していく選手を一人でも多く輩出すること、しかもより強い状態で送り出すこともこのチームの役割だと思っています。

選手は自分の成長に無意識のうちに蓋をしてしまうことがあります。現状に満足せず、まだまだ上があると感じられるように、「選手を内側から鍛えること」も僕の仕事だと考えています。

選手時代に単身デンマークに渡った経験、選手兼任監督で苦労した経験すべてが今に生きている

 

―パウエル選手には、今いる選手を内側から鍛えるための新たな刺激になってほしいと期待しているということですね。

 

門山:ラースHCがいま必要としていることは、言葉では伝えきれない「本物」を選手に分かってもらうことです。パウエル選手は単なる“助っ人”ではなく、ラースHCの求めるスタンダードを体現し、長くチームに影響を与え続けてくれることを期待しています。

例えば、渡部仁選手と吉野樹選手が海外に短期留学しました。彼らは日本のトップ選手で、国内に数人しか競争相手がいない。彼らは自分を律して一生懸命トレーニングをしてくれていますが、このチームだけで新しい刺激を受け続けることが難しい状況にあります。彼らが海外で新しい刺激を受けたことによって成長し、それをチームにも還元してくれることでチーム全体が成長できています。

それと同じように、左利きのパウエル選手は渡部選手にはすごくいい刺激になるし、二人で切磋琢磨することで、選手としての可能性をもっと広げられる。渡部選手は日本のハンドボール界にとっても重要な選手で、彼が成長すれば日本代表の強化にもつながります。さらに練習で対峙する吉野選手や富永聖也選手なども刺激を受けると思いますし、パウエル選手には色々な影響を与えてくれる存在として期待しています。

 

―今のお話を伺って、Jリーグの創成期を思い出しました。ジーコら世界的選手が来日し、日本のサッカー界にプロとしてのスピリットをインストールした。それが日本のサッカーが強くなっていく礎となりました。

 

門山:その通りです。ジーコが所属していた鹿島アントラーズは長い間強豪であり続けていますし、日本のサッカー界に良い影響を与え続けていますよね。ブレイヴキングスもハンドボール界でそのような存在でありたいと思います。

 

―ジークスター東京がプロチームとしてハンドボール界に新たな風を吹かせていますが、トヨタ車体という実業団チームが新たなチャレンジをすることは、別のインパクトがあると思います。

 

門山:おっしゃる通りで、僕たちは他のチームのロールモデルとなり、日本ハンドボール界へも貢献する重要なポジションにいるチームだと考えています。

ありがたいことに、このチームに関わってくれる人は、ファンも、社員も、非常に熱量が高い。自分たちもブレイヴキングスの一員であり、一緒に戦いたいと思ってくれている。僕たちは泥臭いチームで、スマートではないかもしれないですが、皆さんはそこに魅力を感じてくださっています。「一緒に熱狂できること」がこのチームの良さであり、大事にしたい3つ目の価値です。

 

―これは私個人の考えですが、今シーズン、ブレイヴキングスが成長し続けたことが、日本代表がパリ2024オリンピックの出場権を獲得したことに影響を与えたように感じています。

 

門山:僕自身も日本代表として何度もオリンピックに挑戦して勝ち取れなかったので、本当にすごいことを成し遂げたなと思いますし、少し羨ましい気持ちもあります。そして切符を勝ち取った大会の主力をブレイヴキングスから何人も輩出できたことを誇りに思います。

ラースHCが来て、この1年間で日本代表選手の成長が加速したことも大きいですし、代表選手のバックボーンには日頃このチームで一緒に切磋琢磨している選手の存在があります。そういう意味で、オリンピックの切符を取ることにチームとして貢献できたのであれば、とても嬉しく思います。

いつもはにこやかな門山も試合中の気迫は並々ならぬものがある

 

「新たな成長期」を迎えた今シーズン、優勝することで成長を証明したい

 

―いよいよプレーオフが始まります。昨シーズンの日本リーグプレーオフは豊田合成ブルーファルコンに1点差で敗れて準優勝に終わりました。今年の日本リーグ優勝にかける思いを聞かせてください。

 

門山:去年は延長の末に1点差で敗れました。最善は尽くしましたし、優勝するチャンスが目の前にあっただけに悔しい気持ちもあります。でも僕自身は「優勝するためにはまだ何か足りないんだぞ」と言われている気がしました。

あの日から1年間、優勝するためにチーム全員で取り組んできて、少しずつ形になってきました。昨シーズン足りなかった1点が埋まってきたという手応えがあります。

 

―豊田合成ブルーファルコンとの今シーズンの対戦成績は1勝2敗です。

 

門山:敗れた2試合はいずれも1点差でした。もしかしたら「まだ1点足りないぞ」と言われているのかもしれないですが、僕には去年の1点とは全く違う1点に思えます。

豊田合成さんがチームとして円熟味が出てきている一方で、僕たちはこの1年で新たな成長期を迎えています。昨年末の段階では1点足りなかったかもしれませんが、そこから5ヶ月で僕たちは大きく成長できている。だから、必ずひっくり返せると自信を持っています。

 

今年は例年以上に重要なシーズンです。初めて外国人HCを迎えるという新たなチャレンジをして、選手たちもラースHCの求める基準に応えようと成長してきました。優勝できれば選手はさらに自信を持てるし、会社としてもこのやり方が良かったと確認することできます。そしてそれは次の一手につながっていきます。自分たちが良い方向に進んでいると確認するためにも、なんとしても優勝をつかみたいと思います。

 

取材・文/山田智子

2024/05/16

【BACKYARD BRAVEKINGS#6】富永 聖也選手インタビュー

いつもトヨタ車体ブレイヴキングスへご声援いただきありがとうございます。
トヨタ車体ブレイヴキングスのメンバーがとる行動や想いの背景、裏側、バッググラウンドを、ファンの皆さんに深く知っていただけるよう、インタビューやコラムで掘り下げてご紹介していきます。

 

 

今回は若手選手をクローズアップ:成長著しい入団2年目の富永聖也選手。着実にプレータイムを伸ばし、荒削りながらも攻守にわたって存在感を増している。しかし順調に見える今シーズンは、裏ではいろいろと悩み試行錯誤の連続だったという。

 

ラースHC(ヘッドコーチ)のもとで、飛躍した一年

 

―入団からの2年間でどんな部分が成長したと感じていますか。

 

富永:入団当初は体重が84キロほどしかなく、ディフェンスで押し込まれることがありました。体重を増やし、体幹を鍛えたことで、当たり負けもしなくなってきました。

分岐点になったのは、昨年のプレーオフで左肩を脱臼したことです。自分は試合中に病院に運ばれ、勝ってくれ、ファイナルに進んでくれとただ祈るだけでした。みんなが頑張って、試合に勝ったよ、次はファイナルだよと電話してくれて号泣してしまって。このチームで良かったなとめちゃくちゃ思いました。しかし最後まで戦えなかったのはやっぱりとても悔しかったです。

昨季のプレーオフ決勝は激闘を見守ることしかできず そのくやしさが成長につながった

 

その後は2〜3ヶ月ボールに触れなかったのですが、ちょうどオフシーズンだったので、体づくりにじっくりと向き合うことができました。

大学時代に肩の怪我をした時は、試合に出たい気持ちが先行して、無理してプレーを続けた結果、怪我を長引かせてしまいました。今回はその経験を生かして、しっかりと治すことができましたし、課題であった体幹トレーニングに取り組むよい機会にもなりました。

 

―プレーの面では、どのような成長を感じていますか。

 

富永:今シーズンはラース(・ウェルダー)ヘッドコーチ(HC)に代わって、自分自身のやるべきことも変わりました。最初は戸惑うこともありましたが、最近はプレータイムも伸びて、大きく成長できた一年だったと感じています。

得意のディフェンスで速攻につなげチームに流れをつくる

 

―役割はどのように変化したのでしょうか。

 

富永:僕は(吉野)樹さんの交替で出る形が多いのですが、今まではあまり流れを考えずにガンガンシュートを打って、その結果流れを悪くしてしまうことがありました。

「途中から出る選手にはチームの雰囲気や流れを見る役割がある。1人でガンガン攻めすぎるのは、例えて言うなら、周りが正常運転なのに、1人だけバイクでずっとふかしているようなものだ。今、チームがどのような状況にあるのかを考えてプレーしろ」とラースHCにみんなの前で叱られて、それから流れを意識してプレーするようになりました。

ディフェンスについては、最近は真ん中を守ることも多いですし、自信を持っています。しっかりとディフェンスして、そこから速攻につなげて、ゲームの流れを作る役割を担っていきたいです。

 

―今シーズン、自分の強みを最も発揮できたと感じるのはどの試合ですか。

 

富永:昨年6月の全日本社会人選手権大会は調子がよく、リーグ戦もこのままの調子でいきたいと考えていたのですが、調子を落とし、プレータイムをもらいながらも得点ができない試合が続きました。シュートも入らないし、思ったプレーができない。「なんでなんだろう」と半年ほど悩み続けて、ようやく12月の日本選手権くらいから自分のプレーができるようになってきました。今年4月のジークスター戦では自分のやりたかった動きができて、自信になりました。

 

―自分のやりたかったプレーとは?

 

富永:カットインが好きなので、間を割るプレーや相手の隙を突く動きは自分の強みだと思っています。最近はアシストも好きになってきました。ポストパスやサイドへのパスは練習の成果が出てきているので、自分が点を取るだけでなく、周りを生かすことにも楽しさを感じています。また、ポストプレーは今シーズン通して強化してきたポイントで、少しずつ納得のいくプレーができるようになってきています。

プレーの幅を増やすため体幹を強化

 

―今のお話を聞いて調べてみたのですが、前半9試合のシュート率は37%、11月の琉球コラソン戦から4月のゴールデンウルヴス福岡までの後半12試合は60%と大幅に伸びていますね。悩んでいた半年はどのように過ごしていたのですか。

 

富永:コアトレーニングを徹底的にしましたし、食事の面もYouTubeを見て自分なりに勉強しました。

 

―YouTubeで学ぶというのが、今どきっぽいですね。

 

富永:いろいろと研究する中でたどりついたのが、バスケットボールNBAの選手のYouTube。NBA選手は身長も高くて体重もあり、スピードもパワーも必要な競技なので参考になると考えました。お米をパンやパスタなど小麦になるべく変えて、朝食も寮の食事だけではなくシリアルや自分で用意したバナナを食べています。今はよいコンディションが保てているので、これを継続したらこの先どれぐらい強化できるのだろうと、楽しみながら試しています。

富永の持ち味はしなやかでダイナミックなプレー

 

レベルの高い環境の方が成長できる

 

―ブレイヴキングスは日本代表選手も多く、他のチームであれば先発で出られる力を持った選手がなかなかプレータイムを獲得できない状況にあります。その点についての葛藤はありませんでしたか。

 

富永:樹さん、(渡部)仁さん、杉(杉岡尚樹)さんなど代表選手が多いことは入団前から分かっていました。大学の監督からも「試合に出られないかもしれないぞ」と言われましたが、簡単な道よりもいろいろ経験ができる方が自分にとってもプラスになると考えました。

僕は熊本の天草という田舎の出身で、高校時代は無名でしたが、そこからいきなり東京の大学に行きました。その時と同じで、レベルの高い場所に飛び込んだことで濃い経験を積めています。2年目でこんなに長く試合に出られると思っていなかったので、順調というか、うまく行き過ぎているくらいです。

 

―吉野選手、渡部選手、杉岡選手との差はこの2年間で縮まってきていると感じていますか。

 

富永:縮まっていると思いたいんですけど……。彼らは“天才”なので、簡単には届かないです。個人技でも点が取れますし、相手を見てプレーできますし、本当にすごい選手たちです。

ラースHCからは「吉野に勝たないとスタートでは出られないよ」とずっと言われているので、勝てるように頑張っています。

 

―1月のアジア選手権では日本代表でも活躍しました。その経験はどのように生かされていますか。

 

富永:一番学んだのは戦う姿勢です。ダグル(・シグルドソン前)HCの「人生をかけて戦え」という言葉が最も心に残っています。海外の選手は人生をかけて挑んできているので、僕たちはそれを跳ね返す強い気持ちで戦わないと相手にならないと思い知らされました。試合に対する気持ちを変えることが大きく変わったところです。

完全アウェーの中、バーレーンに勝てたこともいい経験でしたし、決勝のカタール戦では、グループステージとは全く違う戦う姿勢を見せつけられました。人生を賭けて戦う人はこんなにも目の色が変わるんだと目の当たりにしたことは大きな経験でした。

 

―先ほど熊本の天草の出身という話が出ましたので、子どもの頃のお話を聞かせてください。

 

富永:同級生は男子4人、女子4人の8人。保育園から中学までずっと一緒に育ってきました。小学校ではサッカーをしていたのですが、中学校は部活がハンドボールしかなかったので、必然的にハンドボール部に入ることになりました。中学校の前に川があるのですが、釣りをしたり、練習で汗をかいて汚れたらそのまま川に入ったりして楽しい子ども時代を過ごしました。

 

―中学校は藤本純季選手と同じ都呂々中学校。藤本選手、富永選手、そして岩下祐太(トヨタ紡織九州レッドトルネード佐賀)とハンドボールの日本代表選手を3人も輩出しています。

 

富永:僕を指導してくださった監督のお父さんが監督を務めていた30年ほど前に日本一になったことがあります。僕たちの頃は人数も少なかったので、県大会にも出ていませんし、天草市の大会で負けることもあったのですが、練習は厳しく、朝8時半から12時半まで走りっぱなしということもよくありました。

バネを生かした高い打点からのシュート シーズン後半は精度が大幅向上しシュート率6割を越える

 

―富永選手はウガンダ出身の父と日本人の母のミックスルーツを持っています。そのことで悩んだことはありませんでしたか。

 

富永:小さい頃は悩んだこともありましたが、スポーツを始めてからはそういういうことも気にならなくなりました。最初は下に見られることもあるのですが、いいプレーをすれば何も言われなくなります。そういう経験を経て、ハングリー精神が強くなったと感じています。

僕は英語が話せないのですが、外国の方から英語で話しかけられたら困ってしまうのと同じで、初対面の人は僕とどうコミュニケーションをとったらいいのか困惑しているだけなのかなと割り切れるようにもなりました。

バスケットボール日本代表の八村塁選手にも勇気をもらいました。肌の色が違うと日本人と見なされないこともありますが、八村選手が日本人としての誇りを持って戦っている姿を見て、「僕も日本人でいていいんだ」と感じることができるようになりました。僕も将来的に日本人としての誇りを持って海外でプレーしたいという目標を持っているので、彼の活躍は励みになります。

 

ハンドボールを理解しているファンの存在が成長を促す

満員のお客さまの声援が富永を熱くする

 

―4月6日のジークスター東京戦では約2,000人のファンの前でプレーオフ進出を決めました。

 

富永:たくさんのファンの皆さんの前でプレーできて、本当に楽しかったです。ブレイヴキングスの選手は大舞台になればなるほど活躍する人が多い。たくさんの声援と華やかな演出で素晴らしい雰囲気を作ってもらって、負けるわけにはいかないですからね。

ブレイヴキングスのファンはとても温かくて、ハンドボールを理解している方が多い印象です。試合中も「がんばれ」「ここだぞ!」と励ましてくれるので、すごく力になっています。チケット代を払って観にきてくれるファンのためにも下手なプレーはできません。「しっかりプレーしなければ」という自覚も強くなりました。

同期の櫻井睦哉と 若手の成長がチームの飛躍のカギ

 

―若手選手から見て、今シーズンのチームはどこが変わったと感じますか。

 

富永:一番違うのは気持ちの面ではないでしょうか。去年までは相性の悪い相手に対しては少し弱気になってしまうところがありました。今年はそれぞれの役割がはっきりしていることもあって、対戦相手がどこであろうと自分たちのやるべきことをやれば勝てるという自信を全員が持っています。ラースHCがそれぞれの役割ややるべきことを徹底していることもありますし、練習からアグレッシブにプレーしているので、試合の方が楽に感じるということも大きいと思います。

 

―今後に向けて、あらためて意気込みを聞かせてください。

 

富永:リーグ戦を1位で通過して、プレーオフもしっかり勝って、ファンの皆さんに恩返しをしたい。

個人的にはしっかりと与えられた役割を果たせるように、練習にしっかりと取り組んでいます。調子の良かった4月のジークスター戦のパフォーマンスを継続できるよう、準備をしっかりして、どんな状況でも自分のプレーができる選手になりたいです。

パリ五輪も目指しています。一つの課題をクリアするとまた次の課題が出てくるので永遠に完成はないですが、一つひとつ乗り越えながら成長を続けていきたいです。

 

発行/2024年4月
取材・文/山田智子

2024/04/26

【BACKYARD BRAVEKINGS#5】ホームゲームの舞台裏 運営スタッフインタビュー

いつもトヨタ車体ブレイヴキングスへご声援いただきありがとうございます。
トヨタ車体ブレイヴキングスのメンバーがとる行動や想いの背景、裏側、バッググラウンドを、ファンの皆さんに深く知っていただけるよう、インタビューやコラムで掘り下げてご紹介していきます。

 

「勝てる会場」から「お客さまに楽しんでいただけるホームゲーム」へ。満員のアリーナを目指した運営スタッフの2年間の挑戦

 

ここ2年にかけて、ブレイヴキングスのホームゲームが劇的に進化している。2月のウィングアリーナ刈谷での試合はハンドボールでは驚くべき1,800人を集客。華やかな演出で観客を驚かせた。今回は縁の下の力持ちとなってホームゲームを作り上げている、トヨタ車体人事室のメンバーである伊藤さん、川合さん、上田さん、鈴木さんに、その舞台裏を聞かせてもらった。

 

―今シーズン、何度かホームゲームを拝見しました。訪れる度に演出が進化し、それにともなって観客の数も右肩上がりに増えているのが印象的です。そこで今回はホームゲームの運営スタッフの皆さんにホームゲームの裏側についてお話を聞いてみたいと考えました。ホームゲームの改良プロジェクトはいつから始まったのでしょうか。

プロジェクトが始まる前は純粋に競技を見せる場所だった

 

伊藤:僕が初めて見た試合会場は、選手の所属職場の応援旗が掲出されているだけで、ほとんど何もない状態でした。「ハンドボールはマイナースポーツだし、こんなものなんだな」と思っていました。しかし選手と話をする中で、「バスケットのように満員のお客さまの前で試合したい」という強い想いを持っていることを知りました。

うちのチームは強いのですが、日本リーグでは2018/19シーズンに優勝したものの、昨シーズンまではずっとシルバーコレクターで、優勝にあと一歩届かない状況でした。だからどうすれば優勝させられるのか考えていました。

しかしながら、優勝するためにはチームを強化するだけでは不十分です。ファンの皆さまの声援がなければ、選手が100%の力を発揮することができません。アリーナを満員にすることが、結果として選手を強くし、勝つことによってファンの皆さまに喜んでいただける。「勝てるホームゲームを創って優勝したい」というのがプロジェクトの起点でした。

 

―そこからどのように進められたのでしょうか。

 

伊藤さん:お金をかければ、派手な設えはできるかもしれません。でも、それだけでアリーナを満員にすることは難しいだろうと考えていました。まずは、従業員、地域、ファン、子どもたちに愛されるチームになること、ブレイヴキングスの価値を高めることが先決であり、そのためには我々運営側、選手、チームスタッフの三者が協力し合うことが必須でした。最初に着手したのは、選手のマインドを変えることです。選手への説明会を開き、「プレーの向上を目指すだけではなく、ファンサービスをしっかりして、選手一人一人が愛されるチームになろう」と説明しました。あわせてチームスタッフにも協力してもらえるように話をしました。その説明会でも話したのですが、理想は阪神タイガース。勝っても負けても常に満員になる、愛されるチームです。

 

―以前は、ファンサービスは全くされていなかったのですか?

 

鈴木:リーグからの要望で選手サイン会をすることがあったのですが、それもコロナ禍以降はやらなくなってしまいました。

 

伊藤:本当にゼロからのスタートでした。選手の写真が入ったクリアファイルとハリセンを作って、従業員受付の横で販売するところから始めました。

 

鈴木:それだけでも、私たちにとっては大ニュースでしたね。でもほとんど買ってもらえませんでした。

 

伊藤:僕と鈴木さんは広報の出身なので、PRやイベントに関するノウハウは持っています。しかしファンの方が何を求めているのかというデータは全くない。なんらかの策を考えたとしても、それが本当にファンの方が求めているものなのかが分からず、悩みました。

 

―それでどうされたのですか?

 

伊藤:まずはスポーツマーケティングの本を読んだり、アリーナスポーツを軒並み観にいったりして、ひたすら勉強しました。ホームゲームでどのようなイベントをしていて、何がお客さんに刺さっているのか。お客様を気持ちよく迎えるためにどのような考えで設営がされているのか、それこそどんな素材が使われているかまで。壁を叩いて木工なのか鉄骨なのか確かめたり試合を全然観ないで裏方のスタッフの動きばかりを見たりしているので、非常に怪しい客だったと思います。

 

それまでも少しずつ策をトライしていたのですが、去年の始めにホームゲームの来場者を500人から5,000人にするための取り組みをまとめた「5,000人プラン」を作りました。5,000人は大袈裟ですが、約2,500人入るウィングアリーナ刈谷を埋めたいというのが本音の目標でした。トヨタ車体はエンタメの会社ではありませんし、ハンドボールの運営スタッフは僕も入れて4~5人なので、川合、鈴木、上田は本当に大変だったと思います。

 

上田:お客さまに対しては22-23シーズンからはほぼ毎試合来場者アンケートを取り、何を求めてホームゲームにきてくださっているのか、トライしてみたことが受け入れられているのか、どこを改善してほしいと期待しているのかを、リサーチしています。

 

カラーを統一しブランディング創りを進めているホームゲーム

 

 

「かっこいい」と「やさしい」でファンの心を掴む

 

―お客さまに喜んでもらうための具体的な取り組みを教えてください。

 

川合:アンケートの結果、予想以上に女性のお客さまが多いことに驚きました。そこで、ポスターや映像など選手のかっこよさを全面に出した、女心をくすぐるPRを展開していきました。チームカラーでもある赤と黒をブランドカラーにして、会場の装飾やグッズもおしゃれでかっこいいものに統一しました。

「かっこいい」をテーマにブランディングを進める中で、選手の私服の写真を撮ってみたら、思いの外かっこよいものになったというような、私たちの中での発見もありました。ややミーハー目線ではあるのですが、「推し」選手をたくさん作ってもらえたら、選手も嬉しいでしょうし、私も楽しいので、誰かのファンになってもらいたいと思いながら進めてきました。

 

伊藤:推し選手をもっと応援してもらうためグッズも選手のネーム入りタオルなど「個」のものを増やしました。今シーズンは選手一人一人のリール動画も作ってSNSで流しているのですが、ファンの方にもとても喜んでいただけています。

 

上田:アンケートでも選手のファンサービスがとてもやさしいという声を多くいただきます。

 

距離感の近さが好評。ファンの反応が伝わってくるのは選手にとってもうれしい

 

伊藤:うちの選手は本当にファンサービスに協力的で、練習や試合後で疲れていても嫌な顔ひとつしません。サイン会などのイベントでは、お客さまが揃ってから選手が迎えられるというのが普通だと思うのですが、うちの選手はお客さまより前に来て準備しているときもあるくらい、ファンサービスを大事にしてくれています。

 

川合:以前、試合後のサイン会に選手がすごく遅れて、伊藤さんがスタッフに激怒したからですよ。

 

伊藤:せっかく苦労して集客しているのに、イベントでお客さまをお待たせして、そこに不満を感じてしまったら二度と来てもらえません。お客さまに気持ちよく帰っていただくためには、一つ一つのことを大切にしなければならないと分かってもらいたかったので厳しく言いました。今はその考えが全員に浸透していると思います。

 

上田:次もまた来たいと思っていただきたいので、アンケートでの厳しい声は可能な限り次の試合までに対応するようにしています。例えば、「会場の案内が分かりにくい」「会場の音量が大きい、小さい」など、毎試合改善を繰り返してきました。

アンケートを重ねながらこうしたファンサービスを創り上げてきた

 

―トライして改善する、を繰り返した結果、2月18日にウィングアリーナ刈谷で開催された大同特殊鋼戦は、約1,800名の観客が入り、立ち見も出るほど盛り上がりました。

 

伊藤:試合後の選手がサインボールを投げ込んでいるときに、スタンドのたくさんのお客さまが推し選手のネームタオルを振っている光景を見て、川合さんと「目指していた光景になってきたね」と話をしました。選手、チームスタッフ、運営スタッフ全員が頑張ってきた結果であり、「ようやくここまできたか」と感動しました。

 

川合:満員のアリーナが目標と言ってはみたものの、もっと先だと思っていたので、本当にうれしかったですね。

VIP席も、企画した当初は売れなかったらどうしようという悩みがありました。それが今回は発売3分で完売。買えなかったお客さまがSNSなどで残念がっているという、私たちが想定していなかった新たな悩みが生まれています。

 

コート間近で迫力が魅力のVIP席はリピーターも多い

 

―VIPシートはいつから始めたのですか?

 

伊藤:昨シーズン、試合前のコートサイドでウォーミングアップの様子を見られる「激感エリア」を試しに作りました。それが思いのほか好評で、間近で選手を見たいというニーズがあることが分かりました。そこで、コートサイドの席を40席販売することにしたのですが、正直お金を払ってまで見てもらえるかには自信がなかったです。

 

上田:シーズンの前半戦は1席、2席売れ残っていました。今ではVIPエリアが即完売するだけではなく、定価で一般席チケットを買ってくださる方が2倍になりました。

 

メンバーのアイデアで実現した高揚感を高めるゲート

 

―ウィングアリーナ刈谷での試合は、入り口までアプローチにカッコいいゲートとレッドカーペットで非日常へ誘ってくれるような演出がされていて、感動しました。

 

鈴木:いつもと違う非日常感の景色にしてお客様をびっくりさせたいとゲートを作ったのですが、皆さんが非常に喜んでくださいました。手間がかかるらしく職人さん泣かせでしたがチャレンジしてよかったと思っています。

 

―選手入場時の映像や花火の演出には多くのお客さまから「すごい!」という歓声が上がっていましたし、選手も驚いていました。

 

伊藤:選手には事前に伝えていなかったので、驚いていたようです。

 

緻密なタイムコントロールが必要で伊藤を悩ませた演出は無事成功

 

上田:あの日のアンケートは、選手入場の映像がすごくよかったとか演出についての良い意見ばかりでした。選手からも「最高だった」「気持ちよかった」「やる気が出た」と言われましたね。ホームゲームの前日はいつも、「お客さまが来てくださるだろうか」「準備が足りずお客さまからお叱りを受けないか」と不安で眠れないのですが、2,000人の光景を見て今までの苦労が吹っ飛びました。実はもう一つ、個人的なことですが、あの試合でとても嬉しいことがありました。刈谷大会の前に入籍をしたのですが、リハーサルの時にビジョンにサプライズでお祝い映像が流れ、人事室の運営スタッフの仲間や門山哲也チームディレクターがプレゼントをしてくださいました。試合の準備で忙しい中で、このような機会を作ってくださったことに感謝していますし、それを見ていた大同特殊鋼の選手から「選手と運営スタッフの距離が近くていいね」と言っていただいたことも嬉しかったです。

 

 

ホームゲームのファンサービスでもNo.1を目指す

 

伊藤:でもまだまだ道半ばです。僕は、チケットを買って観にきていただけるお客さまで毎試合ホームゲームを満員にしたい。この2年間はとにかく認知を上げたいと積極的に子どもたちの招待を行ったりリピーターになってもらえるようなイベント企画をしたりという種まきをしてきました。来シーズン以降は、その種からたくさんの花が咲けばいいなと願っています。

 

上田:例えばバスケットボールのシーホース三河さんやバレーボールのジェイテクトSTINGSさんはチケットが争奪戦だと聞きます。チケットが買えないくらいの人気がハンドボールにも出るといいなと思います。

 

川合:選手も変わってきましたが、私たち運営スタッフのマインドもこの2年で大きく変化しました。以前は伊藤さんの方針に応えるという「待ちの姿勢」だったのですが、自分が考えたことが形になると楽しくて、どんどん自分たちから提案していこうという気持ちに変わってきています。私たち自身もスキルを磨いて成長してきています。

 

伊藤:川合さんたちから、お客さまに喜んでもらうためにこれをやりたいというアイデアがたくさん出てきます。我々がやっているイベントなどはこうやって全て自分たちで考えて試行錯誤しながらやっています。協力会社に企画をしてもらうことはしていません。この手作り感は絶対に大切にしなければならないと思っていて、愛情のあるアリーナにしていきたいという考えを基軸としています。たった4~5人で、しかも女子バレーボール部クインシーズの運営も掛け持ちでやっている小さな所帯ですが、川合さんや上田さんらのもの凄いパワーと頑張り、チームワークがプロジェクトを支えてくれています。

 

「勝てるアリーナを作りたい」と始めたプロジェクトですが、この2年間で「お客さまに楽しんで帰っていただきたい」と方針が変わってきました。

今、チームは1位、2位をずっと走り続けてくれています。チームが日本のハンドボールを引っ張っていく自負をもって一生懸命取り組んでくれているように、我々もホームゲーム運営の面でNO.1になってハンドボール界を牽引していきたいと考えています。

世の中にたくさんの余暇を楽しむものがあります。その中からご家族や友人同士で今日はブレイヴキングスの試合を観に行こうと選んでいただけるような会話が自然と生まれる日常を作りたいと思っています。

ハンドボールは本当に観ていて楽しいスポーツです。もっとたくさんの方にハンドボール、ブレイヴキングスの試合に来ていただけるよう取り組んでいきたいと思います。

 

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トヨタ車体ブレイヴキングス ホームゲームレポート

 

発行/2024年3月
取材・文/山田智子

2024/03/29