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ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」に焦点を当て、表面の部分だけでは決して見えてこない、その想いや考え、行動の原点にフォーカスしインタビューやコラムで紹介していきます。
昨シーズン好評の中で旅を終えた「BACKYARD BRAVEKINGS」をさらにパワーアップさせ、「FOCUS ON BRAVEKINGS」として、ブレイヴキングス刈谷に関わる「ヒト」にフォーカスする、新たな旅路に出たいと思います。
第一回では今夏パリオリンピックに出場し、熱戦を繰り広げた4選手から、話を伺いました。
今夏のパリオリンピックには、ブレイヴキングス刈谷から6名の選手が出場しました。
今回はその中から岡本大亮選手、髙野颯太 選手、櫻井睦哉選手、渡部仁選手による座談会を開催。36年ぶりに自力で出場を勝ち取った世界的祭典でのエピソードや、そこで得た経験をどのように生かしていきたいかなど、話を伺いました。
5連敗と悔しい結果も、日本は世界と戦える手応えを得た
―岡本選手、髙野選手、櫻井選手は今回が初めてのオリンピック出場でした。あらためて振り返って、パリオリンピックはいかがでしたか。
櫻井:自分にとって、今回のオリンピックは日本代表としての初めての公式国際大会だったので、緊張もしましたし、初めてのことばかりで不安もたくさんありました。
試合に関しては、(カルロス・)オルテガヘッドコーチ(HC)の戦術が分かりやすかったので、思い切りプレーをすることができました。試合が始まる直前まで緊張していたのですが、始まってからは集中して、自分の持っているものを出し切ることができました。
髙野:僕は櫻井選手と違って、めちゃくちゃ緊張していて。初戦は「どうしよう、どうしよう」と結構手が震えていましたね。でも試合を重ねるごとに、日本も世界の強豪と渡り合えるという手応えが自信になって、最後は緊張せずにリラックスして試合に臨めました。
今回のオリンピックを通して、自分の持ち味であるディフェンスの能力は、世界の強い選手とも競い合えると感じられたのが一番の収穫です。自分よりももっともっとディフェンスが上手い選手もいたので、これから彼らを研究して、さらにうまく守れるようにディフェンス力を磨いていきたいと思いました。
岡本:予選敗退という結果については残念でしたが、すごく楽しかったです。今回のオリンピックはハンドボール人気の高いヨーロッパでの開催だったので、お客さんがすごくたくさん入っていて、良いプレーをしたら観客が盛り上がってくれるので、気持ちが上がりました。そのおかげで良いプレーができましたね。
―渡部選手は東京に続き2度目の出場となりました。
渡部:東京オリンピックは無観客開催だったので、正直なところオリンピックという実感があまりありませんでした。パリオリンピックに出て、国の違いを超えて大勢の観客が盛り上がっている姿を見て、ようやく自分が子どもの頃にテレビで見ていたオリンピックに出場したという実感を得ることができました。結果については、みんなも言っている通り残念でしたが、今の自分に出せる力を全て出し切ったので、総じて楽しいオリンピックでしたね。
―東京とパリを比べて、日本のハンドボールの成長を感じることはできましたか。
渡部:2大会連続で11位という結果でしたが、東京オリンピックでは1勝しているので、成績だけを見れば成長できていないと思う方もいるかもしれません。ですが、HCがオリンピックの3ヶ月前に突然変わり、戦術も大きく変わった中で、これだけの戦いができたということは、日本人選手のポテンシャルや能力が上がった証拠だと思います。ステップバイステップで日本が強くなってきたことを実感できましたし、このまま成長すれば、次のロサンゼルスオリンピックでは、東京、パリで果たせなかったグループリーグ突破ができると信じています。
―今お話に出ましたが、オリンピックまで半年を切ったタイミングでダグル・シグルドソンHCが突然辞任。オルテガ新HCが6月に日本代表に合流して、実質2ヶ月間しか準備期間がない中でチームを作り上げるのは並大抵ではなかったと想像します。またオリンピックの出場権を36年ぶりに自力で掴み取ったこと自体が、ハンドボール界にとっては大きな財産ですね。
渡部:これまでは、取材で目標を聞かれると、口では「オリンピックを目指します」と言ってきましたが、正直リップサービスというか、言わされている感覚がありました。
でも、今回自力で出場権を勝ち取って、もうオリンピックは夢物語ではない、手が届く目標になったと感じています。ちゃんと胸を張って「オリンピックを目指します」と言えることがハンドボール競技の地位が上がった証だと思います。
髙野:僕がハンドボールを始めてからずっと、ハンドボール日本代表がオリンピックに出場することがなかったので、正直オリンピックを目指そうという考え自体がなかったんですよね。僕自身も東京オリンピックの事前合宿に呼ばれて初めて、オリンピックを意識するようになりました。
―ハンドボールをしている子どもや若い選手にとって、オリンピックがリアルな目標になったということは歴史的な一歩といえると思います。オリンピックに出場して何か反響はありましたか?
櫻井:実家の近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちから「息子さん、オリンピックに出ていたね」「すごいね」と声をかけられたり電話をもらったと家族から連絡をもらいました。なんで知っているんだろうとびっくりですよね。テレビや新聞で知ったようなのですが、やはりオリンピックの影響力は大きいなと感じました。
岡本:僕は山口県岩国市の出身で、もう一人、徳田新之介選手も同じ市の出身なのですが、市をあげて応援に力を入れてくれて、ドイツ戦はパブリックビューイングをしてくださったみたいです。オリンピックの後に地元に帰った時も、TVの取材を受けるなどすごく反響がありました。
1点差で惜敗した初戦が全てだった
―パリオリンピックでは5試合戦いました。どの試合が最も印象に残っていますか?
髙野:僕は1試合目のクロアチア戦です。地上波で放送される予定だったBMXが雨で中止になって、急遽ハンドボールが放送されることになったんですね。
対戦相手のクロアチアのHCが、長年お世話になった日本代表のダグル前HCだという運命のいたずらもあって、「何がなんでも勝つぞ」という気持ちで臨みました。今までやってきたハンドボールが発揮できて5点リードで前半を終えて、「これはいけるぞ」と後半に入ったのですが、徐々に徐々に追いつかれて、残り1秒で逆転されてしまい、本当に悔しいです。
櫻井:「たられば」になりますけど、同じ球技のバレーとバスケがその日の試合で負けていたので、もし地上波で放送されたあの試合で勝っていれば、ハンドボールの歴史が変わっていたんじゃないかと悔やまれます。1点の重みを痛感したというか、ショックが大きかったです。
渡部:今振り返っても、もし初戦を勝っていたら、その勢いでグループリーグを突破できていたのかなと思います。本当に初戦が全てだったなと。
実は、ダグル前HCとは、試合の前々日に食堂で会ったんですよ。勝って成長した姿を見せることが前HCに対する恩返しだとも考えていたので、そういう意味でも勝ちたかったですね。
岡本:僕もクロアチア戦が印象に残っています。最終的には逆転負けをして、残りの4試合も勝つことができませんでしたが、オリンピックに向けて、アントニ・パレツキGKコーチのもとでずっと取り組んできたことが、世界の舞台でも通用すると感じることができた試合でした。
―岡本選手はクロアチア戦のセーブ率が36%と好セーブが光りました。外国人GKコーチのもとでどのような取り組みをしてきたのですか?
岡本:国際試合では、日本のリーグよりシュートのスピードが速くなる。だから、ゴール全体を目で見て、反射神経だけで止めることは難しいんですよ。そのため、フォームやデータが重要になります。相手選手のシュートの傾向から予測をして、ある程度絞って、そこを集中して止めるのですが、予測と判断がうまくいきました。
髙野:ディフェンスの戦術としては、2枚目がアグレッシブに前に出て相手の攻撃を止めるチームルールだったのですが、それがうまくハマって、相手にボールをうまく回させないディフェンスができました。キーパー 陣も結構止めてくれて、ディフェンス全体としてうまくいった試合でしたね。
櫻井:仁さんが2枚目のスタート、次の交代で僕が2枚目を担当しました。こういう状況の時は前に出て相手のオフェンスを制限する、こういう場合は前に出ないで引いて守るというチームルールをしっかりと整理して挑んだので、頭がクリアな状態でプレーできたことがうまくいった要因の一つかなと思います。手応えがあっただけに、負けた悔しさもそれに比例して大きかったです。
世界トップレベルの選手から学んだこと
―1点。1勝。わずかですが、大きな差。この差を埋めていくために、どんなことが必要だと考えますか。
渡部:先日の全日本選手権も1点差で準優勝に終わったので、「1点差」は旬なワードですね……。
代表戦に限らないのですが、やはり後半の最初の10分をいかに前半の良い流れのままで戦えるかという部分が大事になると思います。リードしていると、点差を守らなければという気持ちが出てきて、どうしても攻める姿勢が失われてしまうので。
髙野:クロアチア戦のハーフタイムにも、「絶対に追い上げてくるから、5点のリードは忘れて、1点1点集中していこう」と話してはいたのですが、まさかこんなにリードできるとは思っていなかったこともあって、若干メンタルがふわふわしていたところがあったのかもしれません。
櫻井:クロアチア戦でいうと、後半の立ち上がりに相手のディフェンスが1人だけラインを上げるような戦術に変わって。対策はしてきたつもりだったのですが、戦術変更に対応しきれずに、ミスから失点するシーンが結構ありました。早い段階で修正できなかったのが敗因の一つだと思いましたし、世界で勝ち切るためには、試合の中での「修正力」が求められてくると思います。
―パリオリンピックを通じて、「この選手、すごかったな」など刺激や学びを得た選手はいますか。
岡本:特定の選手ではないのですが、海外の選手は球が速いことに加えて、球持ちがいい。だから、相手が打つ前に少しでも動いてしまうと、簡単に股下を打たれてしまう。実際に僕が受けたシュートの多くが股下を狙ったものだったので、先に動かず我慢する必要があると学びました。
―海外のGKから学んだことはありますか。
岡本:ドイツのシューターでワンフェイクをしてキーパーを反応させて決める、ルネ・ダムケという選手がいたんですね。僕は彼のシュートを全く取れなくて、「どうやって止めればいいんだろう」と思っていたんですけど、スウェーデンのアンドレアス・パリカ選手は独自の駆け引きでそれを止めていて。駆け引きの部分を工夫すれば通用するんだと勉強になりました。
渡部:僕は、マッチアップはしていないのですが、スペイン代表の同じポジションのアレックス・ドイシェバエフ選手が印象に残りました。ヨーロッパの中では小柄な選手なんですけど、日本戦のラスト10分で個人技から得点を量産して勝利に導く姿を見て感銘を受けました。得点を取ることでチームを引っ張るというライトバックのポジションの役割を果たしている、目指したい選手像だなと思いました。
櫻井:僕はノルウェーのクリスティアン・ビョルンセン選手に以前から好きで、シュートフォームがすごく綺麗で憧れていたのですが、オリンピック村に入ったときにたまたまお見かけして、いちファンとして一緒に写真を撮ってもらいました。
―素敵なエピソードですね。他にオリンピックで印象に残っていることはありますか。
髙野:人生で一番納豆を食べました。
―納豆?
渡部:納豆ご飯、食べましたね。
髙野:僕は選手村の食堂の食事があまり口に合わなくて。日本棟の中にあった、味の素さんが日本食を用意してくれる「JOC G-Road Station」に行って食べるようにしていました。G-Road があって、本当に助かりました。
岡本:選手村の食堂は毎回同じものが提供されるので、だんだん飽きてしまうんですよね。だから僕も途中からは、G-Roadに行って、納豆をずっと食べていました。
渡部:納豆以外では、開会式でカッパをもらい忘れて、びしょ濡れになったことですかね(笑)。
国内リーグでも、世界基準を意識しながら成長を続ける
―パリオリンピックでの貴重な経験を、どのように今シーズンに活かしていますか。
渡部:オリンピックが終わって1ヶ月くらいは、精神的に燃え尽きた感じがありました。練習はあったのですが、気持ちが入っていなくて、ハンドボールから離れる、休むことの重要性を感じました。だから、これまでは週5日ウエイトトレーニングをしていたのですが、今シーズンは週3日に減らしました。
岡本:毎日やってたんですか?!
渡部:昨シーズンまでは。
岡本:減らしたことによって、何か変わりました?
渡部:今まではシーズン中に高熱を出すことが多かったんですけど、今シーズンは体調を崩す回数が減りましたね。コンディショニングがうまくいっています。
櫻井:僕は中学3年生の時からハンドボールノートを書いていて、毎日意識すべきこととか疑問に思うことを書き留めています。「今日は全然足が動いていなかったな」「守れていなかったな」という時に振り返って、自分の足りない部分を確認するのを習慣にしています。オリンピック期間中も続けて、それが成長につながったと実感したので、これからも続けていきたいとあらためて思っているところです。たまに仁さんに誤字脱字を指摘されたりしますけど……(笑)。
渡部:共有してるんですよ。
岡本:僕は先ほども話した通り、オリンピックでデータの重要性を再認識しました。反射神経は日によって調子がいい時と悪い時があるんですけど、データに基づいた「読み」を取り入れることによって、調子の波を抑えることができていると感じています。
髙野:僕は、オリンピックを経験して、ディフェンスの当たりの強さをこれまで以上に意識するようになりました。 ただ国内大会で、海外でプレーしていた時のような強度でディフェンスをすると、すぐに退場が出てしまう傾向があるので、その部分に難しさを感じています。先日の日本選手権も久しぶりにレッドカードをもらってしまいました。
―ラースHCもよくおっしゃっていますが、日本が世界でさらに上を目指していくためには、コンタクトの基準を世界の基準に合わせていく必要があるかもしれませんね。
今日は、ブレイヴキングス刈谷にとっても、日本のハンドボールにとっても、これからの成長につながるヒントになる、貴重なお話をありがとうございました。
取材・文/山田智子
2024/12/26